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「ワイルド・スピード」観に行きたい [文化]

 数日後日本で公開になる「ワイルド・スピード」シリーズの新作。これは絶対観に行きたい。なにしろジェイソン・ステイサムが出るのだから。今や脳筋アクションスターとしては全世界トップに君臨するステイサムがやはり脳筋アクション映画としてトップレベルの水準をキープしている「ワイルド・スピード」シリーズに出るという画期的記念碑的事件。見逃さないわけにはいかない。

 「え?『ワイルド・スピード』シリーズがトップレベル?『エクスペンダブルズ』シリーズの方が脳筋レベル上じゃないの?」という反論を胸に抱いた方もいるかも知れない。確かに脳筋濃度、脳筋臭は「エクスペンダブルズ」シリーズの方が断然上である。だが、誰も逆らえないハリウッドの脳筋王シルベスター・スタローンの総指揮の元、脳筋以外のスタッフを完全排除してしまったその作品群は、さながら剛速球ストレートど真ん中しか投げない熱血ピッチャーのようであり、そんなピッチャーいたら野球ファンじゃない俺でも一応は見てみたいから当然観るが、画面自体の迫力、エキサイティングネスを高めるには技術論が必要であり、脳筋スタッフで全部固めては剛速球ストレートど真ん中だけでは普通エースピッチャーにはなれないのと同様、映像自体の吸引力や面白さはちょっと下がるかも。

 たとえば、「ワイルド・スピード4」(以下「4」)では、いつもながらものすごいスピード感のカーアクションが展開し、レース状態のままだだっ広い荒野から一気にトンネルだか洞窟だかに入るとき、見ていた俺は思わず「あ、ぶつかりそう」と首をぐっとすくめてしまい、首が痛くなった。「アクション映画も遊園地のアトラクションも同じ」と割り切った姿勢が生み出す素晴らしい映像演出であるが、ここまで客を画面に没入させるには技術的な細かいあれこれがきっちりこなされてなくてはならず、脳筋だけで構成されたスタッフでは不可能である。

 また、「5」では、金庫破りをするのだが、普通の映画で金庫破りなら「どうやってロックを外すか?」「どうやって厳重な警備をかいくぐるか」が重要なテーマとなり、繊細でスリリングな頭脳プレーが見所を形成するのだが、脳筋なので車と金庫をチェーンでつないで車のパワーで壁をぶち破って金庫ごと運び出す(「開けるの後でいいじゃん」)。その後おなじみの激しいカーアクションが展開するのだが、急加速、急ブレーキ、急ハンドルに連動して巨大金庫は路上で舞い踊り、街を破壊し、そのまま敵をやっつける武器となる。素晴らしい脳筋着想だが、逆に脳筋スタッフだけだとこういう着想にたどり着けないんじゃないかと思う。こういうシーンちゃんと実現するには意外にオタク的なこだわり持ったスタッフワークが必要で、脳筋から一歩引いた姿勢であれこれ熟考し、そしてまた脳筋路線を外さないよう心がけるというこれまた高度な頭脳プレーで作られていると思う。観てる方は「この映画、バカが作ってんじゃないの?」って印象を強く持つが、作ってる人たちは決してバカではない。

 まあ、いくつか例示したが、監督もスタッフも入れ替わるのでシリーズ中にはいまいちなのもある(「トーキョー・ドリフト」とか)が、アクションのバカ感をキープしつつちゃんと客を引きこむ力を持った「ワイルド・スピード」シリーズはその路線では世界最高水準といえるだろう。ジェイソン・ステイサムのキャラにぴったりであり、今まで出てなかったのが不思議なくらいだ。

 近日公開の新作は今まで主役を張ってた一人、ポール・ウォーカーの遺作となってしまった。時速180km出したポルシェで街灯に激突し、死んでしまった。プライベートも「ワイルド・スピード」であったことを自らの死を持って証明したのだ。役者の鑑と言えよう。

 第1作よりこのポール・ウォーカーとマッチョなタコ坊主ヴィン・ディーゼルのダブル主演でシリーズは展開されてきたが、最近は元プロレスラーのロック様が活躍するようになり、今度はそこにステイサムが絡むのである。非常に楽しみである。ステイサムのレギュラー化を望む気持ちもあるが、あまりメインで活躍するとやはり脳筋カーアクションシリーズのトップに君臨する「トランスポーター」シリーズと区別つかなくなるかも。それは困るなー。

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何故日本のアイドルを聴かず、KーPOPアイドルばかり聴くのか? [Kポップ大好きシリーズ]

https://www.youtube.com/embed/qEYOyZVWlzs

 AOAの最新曲。タイトルは「Like a cat」。ミュージックビデオでは「猫のように」こっそりと忍び込んで宝石を盗むというキャッツアイみたいな怪盗ストーリーが展開されているが、歌詞は「猫のように」あなたの寝床にそろりと忍び入るというまるで逆夜這いのようなシチュエーションが暗示されている。いやあこんなセクシーな女性達にそんなこと歌われては、おじさんドキッとしちゃうねえ。ちなみにこの曲日本発売もされているが、日本語詞ではその夜這いをほのめかすようなニュアンスは全面カットされている。

 まあ、日本では売れないだろうな。

 それは歌詞の過激さがカットされたからではなく、ちょっと前の韓流ブームの頃よりなお一層反韓ムードが高まっているからでもなく、彼女たちのセクシーかつキュートなたたずまいも文化の壁をこえられず現地では美女でも日本人男性の目から見ればちょっと微妙なルックスになってしまうからでもなく、そもそもこういう路線のアイドルに日本では需要がない。

 それは日本のアイドル状況を見れば分かる。現在ヒットチャートはAKBグループの天下である。プロデューサーの秋元康は日本のアイドル史においてなにをしてしまったか?しでかしてしまったか?それは徹底したカジュアル化である。現在日本でのアイドルの条件とは、等身大であることである。クラスに一人はいそうな感じ。しかもマドンナ的ポジションですらないぐらいの身近な雰囲気。それが大事とされる。スーパースターはいらないのである。もともとの素質に加えて恐らく超絶ストイックな生活から作り出される極限まで鍛え上げられたプロポーション、ダンス、歌などいらないのである。

 80年代に「なんかバイト感覚でやってるゆるい感じ」が売りという画期的なコンセプトの元におニャン子クラブで一大サクセスを成し遂げ、そして数十年経っても未だ王座の位置に君臨しているのだ。今後ももう状況は変わることはないであろう。でも、それがいけないとは言わない。実は嫌いじゃない。AKBとかが出てるバラエティとかよく観る。下手な若手芸人見てるより面白いな、と思うことが何度もある。バラエティでキャラを立てることの方が彼女らにとって重要なので、みんな頑張ってる。受け答えとか聞いてて頭の回転早いなって思う娘もいる。

 でも、歌は聴かない。PVも観ない。サウンド面でもステージパフォーマンスでもそっちは勝負所じゃないので無難な方へ無難な方へ演出が向いてるのが明白である。驚くほど冒険やチャレンジがない。そういうの求められてないのだ。等身大じゃなくなってしまうから。何故か知らないがほとんどの曲が「アグレッシブさの抜けたハードロックみたいな(なんだそりゃ?)バンドサウンド」みたいなところに着地している。

 これに対して韓国のガールズグループの等身大を拒否する感じはすごい。大体グループ名だけ見てもやれ女神だビーナスだ天使だ星だとすさまじい(ちょっと引く)。サウンド面ではあるものはジャズだし、あるものはゴリゴリのデジタルダンスチューンだし、あるものはメロディがアイドルとしてあり得ないぐらい昭和演歌風だし、あるものはオールディーズ風だし、それぞれが差別化に心血を注いでるのがよく分かる。そういうのが見てて楽しいのだ。日本のアイドル系ポップスはバラエティ感が薄いと思う。バラエティ番組は頑張るくせに。

 そんなわけで数年前まで「Jポップ大好き」を公言し、そんな名前のコラム執筆に精を出していた俺だが、最近は完全にKポップよりになってる。すくなくともアイドルに関しては。

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