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ランボー 脳筋の源流を訪ねて

脳筋映画大好き!


え?脳筋映画とは何かって?正式な映画用語じゃないので、ちゃんとした定義などないが、バカ映画の一種で、演出に勢いがありすぎて知性によるブレーキが外れたように見えるもの。ヒャッハーな感じで作られているものとでも言えばいいか。ジェイソン・ステイサムとか、ブルース・ウィリスとかが大暴れしてるのが多い。


だが、本当にヒャッハーな人が集まって映画を作ってもエンターテイメントは成立しない。テーマパークの絶叫マシーンはバカでも楽しめるが、作ってる人はバカではないのである。俺なんかより何倍も頭がいい人が集まって案を出し合い、検証し、設計している。脳筋映画も本物の脳筋バカがあつまって作ってるわけではない。そこには精密で繊細なスタッフワーク、頭脳労働を前提としている。そうでなければ臨場感や迫力を持った映像にならない。にもかかわらず出来上がった映画は少しも繊細さや知性を感じさせず、何も考えず勢いだけで作ったような力技の集合体みたいな作品になってしまう。そんな作品の数々を俺はリスペクトし、愛しているのである。


21世紀になってから、そんな脳筋映画ばっかり観ているが、元祖っていったら何だろう?やはりスタローン映画なのではないか?と、思い立った。いや、もっと昔から脳筋的な映画ってあるのかもしれないが、脳筋を印象づける強烈なキャラクターってスタローン以前にはいなかったのではないか?とも思う。


で、今更ながらスタローンのバトル映画の金字塔、「ランボー」シリーズを観ることにしたのである。いまさらに、この時代に!ちなみにリアルタイムでは観てない。避けてた。はっきり言って嫌いだった。シュワちゃんは好きだったのにね。シュワちゃんに関しては「バトルランナー」とか「トゥルーライズ」とか細かいのまでいっぱい観てるよ(「ツインズ」みたいにアクション性が明らかに低そうなのは除く)。シュワちゃんの近未来の光景とか、サイボーグ的設定がよく似合う感じが好きだった。かたやスタローンは?髪のもじゃもじゃは肩まで掛かりそうだし、バンダナ巻いてるし、いつも汗びっしょりで裸だし。すげえ嫌だった。なんだろう?ダサいものに対する許容度が今ほど広くなかったのかな?若かったし。勘弁してくれーとか思ってみてた。


だが、数々の脳筋バカ映画をクリアしてきた今の俺にはそんなバイアスは消滅した。やっと「ランボー」シリーズを観る機は熟したのである。で、シリーズの1「ファースト・ブラッド」から最近の「ラスト・ブラッド」までの5本を立て続けに見たぜ。で、感想はというと・・・


あれ?思ってたような脳筋じゃないな。ちなみに「エクスペンダブルズ」はすでに観てて、あれは確信犯的に脳筋だと思う。「ランボー」は違った。「ワイルド・スピード」みたいに金庫破りしようとして、しばらく正解の番号を探る緊張感あるシーンの後、「もう時間がないから金庫ごと引き抜いちゃお」って思い立ち、車と金庫をつないで建物の躯体から引き剥がすみたいな脱力するようなバカシーンはない。じゃあ、面白くなかったかと言えば、面白かったり、そうでなかったり、いろいろと興味深かった。面白さの順番で言うと

4>1>2>3>5

となる。以下、具体的に感想を書いていこう


「1ファースト・ブラッド」

まず、この記念すべき一作目が痛快娯楽大作じゃないことに驚く。主人公は最初何考えてるかわからない謎キャラだが、だんだんと心の傷と屈折が浮き彫りになっていく。最後にさめざめと泣きながら感情を吐露して終わる。ハッピーエンド感のない暗い映画である。ベトナム戦争後のアメリカの世相と市民感情の暗部をシリアスに表現していて興味深い。全然脳筋ではない。でも、引き込まれる。

バトルも小規模で、はっきり言って地味だが、仕掛けにこっていて陰湿さすら感じるが逆にそれが面白い。娯楽大作と勝手に勘違いしてて意外だったが、楽しめた。


「ランボー2」 

で、その作から方向転換してバトルの規模は大きくなり、スペクタクル大作への道を歩み始める。あれ?バトルの緊張感、臨場感は逆に後退し始めた気がするぞ。

「ランボー」シリーズでは唯一恋愛的なものが明確に描かれるが(「4」でもなんとなくそれっぽい雰囲気は醸されるけどね)、アメリカ映画の恋愛の描き方って雑だよなー。そのチュー、いきなり過ぎんだろ。日本の少女漫画やラブコメは「あの子私(俺)のことどう思ってるんだろ?」「あんなやつ嫌い!って思ってたけど、なんか気になりだした。もしかして好き?」みたいなのがくどくどくどくど描かれる。それはくどくど過ぎんだろって思うが、もう少し「好きになる過程の心の揺れ」とか描いてくれてもいいよな。「ロッキー」もそう。コンビニのレジの姉ちゃんにつきまとってて「おい、おい、相手は嫌がってんだろうが。勘弁してやれよ」って思ってみてると次のシーンでいきなりラブラブになってる「頑張れベアーズ大旋風 日本遠征」もそう。ストーカーみたいに日本の女の子につきまとって家の前までついてって「おめー、しつこいな。やめてやれよ」って観てると次のシーンで突然ラブラブになっている。「ラ・ラ・ランド」もそう。「♪あなたのことは全然興味ないわー」「♪俺もだー」みたいなミュージカルシーンが展開し「だったらわざわざ歌うなよ」って思いながら見てると、次のシーンではもう同棲してる。アメリカ映画ってこういうの多い。


「3 怒りのアフガン」

「映画史上最大規模の殺人」が宣伝文句らしく、バトルの規模はさらに拡大する。クライマックスではひたすら息つく間もない爆破!ドンパチ!だが、昭和のジジババ向けの時代劇のチャンバラ観てるみたいで、なんか様式美っていうか、刺激的に感じないんだよなー。これはハリウッドとかのアクションシリーズにありがちな話なんだけど、バトルのスケールがでかくなり、等身大を離れると、バトルが抽象的に感じられてくるっているパラドックス的なものがある。SFアクションとかだと、敵がインフレーション的に強くなって、例えば「惑星をにぎりつぶすレベルの敵が現れた!」「さらにその敵を小指で吹っ飛ばすモンスターが現れた」みたいにエスカレートしても、もう何も感じない。等身大や日常とリンクする見せ方をどっか作らないと、「すげー」ってならないんだよなー。その点マーベルとかはバトルが拡大化しても抽象的にならないように配慮がある気がする。そこは余談だけど、この「ランボー」シリーズはバトルの規模が拡大するに従って、初期にあった仕掛けの面白さや緊迫感が薄れて平板な暴力描写になってるような気がする。


それと、この映画、ムジャヒディンに味方してるなー。この頃アメリカはソ連に対抗するため、反政府ゲリラを支援してたんだよなー。それをそのまま正義側に描いてる。この後タリバンとかアルカイーダとか出てきたんで、現代の視点で見ると、「大丈夫かよ、これ」って思うなー。アクション映画は大作化するにあたって国際対立を盛り込まざるを得ないわけだが、いろいろと考えなくてはいけなくて大変だなーって思った。


この3まででシリーズは一応一区切りと考えてよくて、一度はもう観るのやめようかなって思った。「規模がでかくなるとバトルの迫力を出すのが難しくなる面もある。このシリーズはそのトラップに見事に引っかかり失敗」みたいな結論を提示して、このコラム的にもまとまりがいいような気もしたし。


でも、折角だから最近作も含めて全部観ることにした。


「4 最後の戦場」

で、やっぱり観てよかった。この作品が一番よかったのである。バトルは相変わらず規模がでかいが、残虐度がアップしてる。ドンパチも前作までは昭和日本の刑事ドラマみたいな予定調和感あるものから一気に変化し、イヤーな感じを出すことに成功してる。まず、オープニングからもう、ミャンマー軍の非道さの描き方が、カルト映画レベルにエグい。で、その後本物っぽい記録映像みたいなのが流れるが、告発モノと思うぐらいシビアな素材が使われている。バトルも血や肉片や靱帯損傷を異様にきっちり印象づける表現がなされており、この突然のこだわりはなんだ?って思った。バイオレンス表現としてはこの作がシリーズ中トップであろう。グロにこだわった作品と言ってよい。面白い。脳筋ではない


「5 ラストブラッド」

軍隊一個隊まるまるぶっ潰すまでエスカレートしてたバトルの規模が、この作品で突然スケールダウンする。敵は家族経営の売春組織で、売春婦も10数人ぐらいしかいなさそう。歌舞伎町なら中規模クラスだな。自宅を忍者屋敷みたいなからくり殺戮装置に改造し、敵軍団を誘い込んでやっつけるが、なんで全員来るのか?とかいろいろ謎だった。多分敵のアジトだと都市のバトルになるので得意のランボーバトル(草むらと一体化したり、泥まみれになって壁に擬態したり)が生かせないからだ。ランボーを助けてくれたジャーナリストの女性も重要な役割を果たしたにもかかわらず、途中から用なしになり、出てこなくなるし、全体に構成が破綻してると思った。


そんなわけで「ランボー」シリーズ、全部観てしまったが、まあ面白いのもあったが、脳筋ではなかった。スタローンが脳筋の元祖って言うのは勝手なイメージだったというのが今回の結論でした。


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