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嫌いなやつからこそ学ばねばならない [雑感]

かつて大嫌いなサブカル系ライターがいて、嫌いなので
「早く死ね」と思ってたら

死んでた。

彼が紡ぎ出す言葉のことごとくが嫌いだったが、一つだけ素敵な言葉を残した。
それは、「悪趣味の良趣味」
俺にとっての敵をこれほど分かりやすく言い表した言葉はない。

あいつとあいつとあいつとあいつは嫌い。俺の敵。
その本質は「悪趣味の良趣味」
ステイタス主義自体にアンチを投げかける俺の思考と鋭く対立する
うん。いい言葉だ。

嫌いなやつの不快な発言もじっくりチェックして、いろいろ取り入れることが重要だな。




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ざまあみろ村上隆チルドレン [雑感]

サブカル展「不快」苦情で中止 
http://www.sankei.jp.msn.com/life/news/110202/art11020223290006-n1.htm

 東京都渋谷区の百貨店「西武渋谷店」で開かれていたサブカルチャーの展示会が、客の苦情を受け、会期途中で中止されていたことが2日、分かった。

 同店8階の美術画廊では、1月25日から2月6日までの日程で美術展「SHIBU Culture~デパートdeサブカル」を開催。国内アーティスト二十数人による絵画や写真、人形など約100点が展示されていた。しかし、「百貨店で開く展示会としてはふさわしくない」といった趣旨の苦情メールが数件寄せられたため、同店は「不快だと思われる方がいるのであれば中止すべきだ」と判断し、1日に展示を中止した。

 同店の担当者によると、「メールの送り主の年齢などは不明だが、特定の団体からの抗議ではないようだ」と説明。「中止に対する問い合わせは数件あったが、目立った苦情はない」としている。

まず、本来ファインアートはサブカルチャーの対立概念であって、両者をかねるなんて定義上ありえない。出展者の作品をいくつか見たが、どうみてもご立派なお芸術作品ばかり。とても大衆向けの作品には思えないものの数々。 

では、何故アートがサブカルを気取るなんて事態が生じるのか?これは80年代のニューアカだのカフェバーだのが流行った時代に生じた「ステイタス主義サブカルチャーブーム」に起因する現象だ。DCブランドのスーツ着てカフェバー行って浅田彰やゴダールを語ると自分がワンランク偉くなったような気がする、そんな錯覚を味わって喜んでいた時代に「サブカルチャー」というキーワードが口にされるようになった。それ以降日本では単に大衆的なもの、たとえば浜崎あゆみとかB'zとかウッチャンナンチャンとかではなく、漫画なら岡崎京子とか、映画ならアッバス・キアロスタミとかセンスがあってプライドがくすぐられる消費の形を表現する言葉となった。 

で、その潮流は90年代〜21世紀と流れる中で、完全に若者文化のメインでは息を潜めたと思われるが、なぜか一部の狭い世界ではそういうノリが未だに生き残っていて、例で言うとダンス、アート、小説。 

「ざまあみろ村上隆チルドレン」と題したが、ポップとアートのステイタス高げな融合(勘違い)をより本格的に志向してるのは昭和40年会の輩でだろう。同じ穴のムジナのくせに「40年会は村上隆なんかと違う」なんて言ってそうなバカが多そうなのであえてそういう表題にした。いや、違うだろうけど上記で述べた観点ではそう違わない。 

ファインアートそのものが地位の高い文化なのだが、その上サブカルも導入したいってんだからよっぽどステイタス大好き、あらゆる場面でヒエラルキーの頂点に立たないと気が済まない、そんな気質の持ち主なんだろう。恐ろしい性格の方々だ。身近にいて欲しくない。 

まあそんなやつらが西武だかパルコだかと組んで何をしようが別によくて「おいしい生活」とか一生言ってろとか思うんだけど、ファインアートにもステイタス主義サブカルにもアンチをぶつける立場で長年やってきたものとしてちょっとコメントしてみたかった。

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共通テーマ:アート

やさしいなんて言わないで [雑感]

中野通りの「球磨」というチャンポン屋に行く。チャンポンと半チャーハンのセットをいつも頼むので、それを注文しようとしたら店のオヤジが「ご飯もののセットは昼だけ」という。

「以前からでしたっけ?」
「前からそうだよ」

そんな筈はない。この店でご飯もののセット以外でチャンポン頼んだことない。昼に訪れたこともない。

きっとメニューが変わったのだ。メニューが変わるのはしょうがないが、店の人間がウソついてるのがむかつく。

何も頼まず、店を出る。どこで食べよう。気持ちが大きくチャーハンに傾いてるので、青梅街道の「銀龍」という店に決める。中華屋。朝から何も食べてないのでチャーハンに加えて餃子も注文。

ところが、餃子が出てこない。忘れているのか?それならそれでいい。しかし、チャーハン食べ終わった瞬間に餃子が出てくる。何ソレ?コース料理でも出してるつもり?チャーハン食べ終わった後で餃子だけ食べる食習慣はないので、

「お勘定」

目を丸くする店主。いやがらせみたいなマネしといてそれはないだろう。しかし・・・
「これ、払うから」
と、自分からもう折れている。この弱さに我ながら腹が立つ。何で「払えるかそんなもん」と叫べないのだろう。その場で自分の思いを主張できないから後から来る。店を出てから沸々と怒りが煮えたぎってくる。何でその場で怒れない、俺?怒りの半分は自分への怒りだ。

「銀龍」も「球磨」も二度と行かない。とくに銀龍へのむかつきはなんとか晴らしたい。復讐する手だては何かないものか?

殺意はさすがにないが、コンクリートブロックを店のウィンドーにぶつけてやりたい衝動がわき上がる。店頭のガラスがバリーンと大きな音を立てて割れる光景を想像するとさぞかし痛快だろうと、いや増しに高まるその衝動を押さえるのに必死になりながら帰途につく。全身震えが走る。怒りと情けなさで。

ちょっとメシ食おうと外出た数十分でもうこんな調子。俺はいつでもこんな調子だ。

ゴキブリコンビナートみたいな活動をしてると、俺に会う者は誰もが、作風とのギャップに首をひねる。俺は自分で言うのもなんだが人当たりがよく、腰低く、終始にこやかで、「イメージと違う」といわれる。人に接するといつもそうなってしまうのだ。そしてそんな自分に実はいつも歯がゆい思いをしているもう1人の自分が中にいる。そのもう1人の自分の中では復讐心が絶えず渦巻き、人の不幸を祈り、凄惨なシーンを想像して悦に入っている。呪詛と憎しみが渦巻いているのだ。


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やはり俺は三谷が嫌いだ [雑感]

 ゴキブリコンビナートを知っていて何らかのイメージを抱いてる人は
「Dr.エクアドルは三谷幸喜みたいなの嫌いに違いない」
と、思うだろうが、全くもってそのとおりだ。

と、いっても舞台作品はみたことない。最初に接したのは映画かな?「ラジオ(ラヂオ?)の時間」とかいうやつ。

演劇をやっているといろいろ制約に感じることがある。額縁形式だと一つの角度からの視点しか示せないとか、早々何度も場面転換できないとか、アクションよりもついついセリフでいろいろと説明しがちになるとか、落とし穴がいっぱいだ。みんなその弱点を露呈させないように努力して地味にならないよう工夫を重ねているのだと思っていた。

ところが、その弱点を集積したような作品だった。映画なのに。一幕モノの芝居のような映画。演劇ならではの制約から解放されたのに、その制約でがんじがらめに縛られたみたいな作品。当然のことながら地味なことこの上ない。場面転換は少なく、一つの場面もなんだか冒険的なショットとか一切なく、まるで一方向からしか撮ってないんじゃないかと思えるような平板なカメラワーク。一体何をこの人はしているのだろう?と、思った。

あ、「最初に接したのは映画」と書いたが、本人がしゃべってるのテレビで見てまず嫌いになったんだった。生理的に苦手なタイプだと思った。はっきり言って気持ち悪い。で、「ラジオの時間」を偶然テレビで接してますます嫌いになったんだ。

この間また、三谷経験があった。夕方何気なしにテレビつけたら、「古畑任三郎」やってたのだ。評判のあのドラマ。一体どんなんだろうとちょっと興味がわき、観てしまった。

やはり酷かった。犯罪とか扱ってるから多少違うだろうと思って観たら全然同じだった。彼は地味になるためにどあえて努力しているのだろうか?刑事ドラマであんなにも静かでミニマルなのも珍しい。しゃべくってるだけじゃん。いや、あらゆるドラマ、映画は実のところしゃべくってるだけなのかもしれないが、そういう印象を観ている者に植え付けちゃダメじゃん。

それにしても、シブくてかっこいいのをやろうとしてる形跡はあるんだけど、全然シブくないところが逆に笑える。マサカズもシブくなくてかっこつけかた失敗して、単なる変なオジサンになっていて笑える。もともと軽いタッチでしか描けない人なんじゃないの?何をどう描いてもコミカルにしかならないんだったらそれに徹すればいいのだろうが、「結果としてコミカル」な印象を生んでるので、かっこわるいことこの上ない。全てが。

三谷幸喜って俺が自分の活動で「こうならないように気をつけよう」と戒めていること全てを全力で行ってるやつだな。もう嫌いをとおりこして感動すら覚える。でも尊敬はしない。愛せやしない。


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何故、今山崎豊子なのか? [雑感]

何故、今山崎豊子なのか、さっぱり分からないが、「不毛地帯」観た。 

思えば「白い巨塔」ハマったよなー。新バージョン毎回欠かさず観て、田宮バージョンも全部借りて観て、原作も読んだ。山崎豊子作品はさらに読み進めたかったが、未だそれが出来ずにいる。「沈まぬ太陽」にハマっていたオマンサは、あれを観に行くのだろうか? 

で、「不毛地帯」の感想だが、「白い巨塔」ほどハマらなさそうだ。ゾクゾクしない。マンガで言えば「ネーム多すぎ」。フキダシがコマの半分を占めそうだ。セリフの一つ一つが長すぎで、理屈っぽい印象をあたえる。タルい。 

「白い巨塔」とは演出、脚本が違うようだ。もともと渋い作品の筈なのに、全然渋くない。「白い巨塔」の唐沢は光っていたが、やはりあれは演出・脚本のなせる業だったのがよく分かる。やはり唐沢はトレンディの残党に過ぎないんだなあ。 

おっ大河内教授こと品川徹氏も出てるな。昔ながらの渋いキャストとトレンディの残党、小雪みたいな今時のタレントが混在し、激しい不協和音を放つ。一番要らないのは小劇場出身者で、異様に多く出てるが、ほんと出し過ぎだろこれ。不愉快極まりない。あ、品川さんは別。夢の遊眠社以前だから。夢の遊眠社以降の役者ってほんと軽い演技しかできないのな。コメディだけやってろよ。 

もう数回観るけど、観るのやめる可能性大だな。「沈まぬ太陽」予告だけは面白そうで、「久しぶりに邦画もいいかも」と、チラと思わせるところもあったが、それに連動してやめそうだ。 

何故、今山崎豊子なのか?さっぱり分からない。「白い巨塔」だけが奇跡だった。

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J−POPから遠く離れて [雑感]

Jポップのコラムを自然消滅的にやめてから長いこと経つ。

実は完全に疎くなってしまった。今どんな音楽が流行ってるかとか分からなくなってしまったよ。音楽番組どころかテレビもあまり見ないので。

しばらく遠ざかっているうちにすごい刺激的なムーブメントなどが発生し、その現場を見過ごしてたらどうしようみたいな不安も芽生えていた今日この頃であるが、そんな不安は杞憂だと分かった。

TVを久しぶりに漫然と眺めていた。深夜ともなればCDのCMも多くなる。CDつうか最近は着うただのダウンロード系のCMばっかりだね。で、こんなのが流行っているらしい。

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いきものがかりだって。しばらくチェックしない間に、歌謡界はより洗練を深めていたり、よりハイパーに加速化してたり、刺激度をエスカレートしてたり、全くしてないことが判明した。

安心した。こういう人たちが流行っている間はとりあえずJポップは放っておいていいだろう。

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「とっても愛らしい」ボーカルの女の子。「郡部」「田園」「村落」「大字」等のワードを想起させる和風美少女だ。南アルプスの天然水をペットボトルじゃない本物をごくごく飲んで育った感じ?


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いきものがかりどころか、壮大なスケールの自然の中でおびただしい数の生き物に囲まれまくって育った感じだ。いきものがかりなんてレベルじゃねえぞ、こいつらは。

こういった方々が胸キュンなラブソングを垂れ流しまくるのが昨今のJポップなら別にマメにチェック入れる必要もなさそうだ。

もう少しJポップから遠く離れていていいようだ。



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抗菌砂場 [雑感]

近所の保育園に抗菌砂場というのを見つけ、衝撃を受けた。

今はそういう時代になってるのかー!恐るべし、現代!

去年新小岩劇場で公演したわけだが、劇場を運営しているのは風の旅団とか、曲馬館とかあの辺の人たちで、俺なんか足元にも及ばないドアングラな方々が管理スタッフとして回りをうろついていたが、ガキにメット被せているパパアングラがいて、強烈な違和感を感じたものだ。

普段は機動隊と衝突とかしてるくせに、ガキにメットかよ!

ところが後で知るのだが、「ガキをチャリに乗せて二人乗りするときはメット被せること」なる法律が出来ていたのだ、知らない間に。いくら常日頃から反体制運動に精を出してるとはいえ、自転車乗る度に交通課を挑発しても、それはナンセンス!(←きっと彼らの用語)ってもんだろう。

どんどん安全管理、セキュリティーの高度化、過敏な健康志向が社会で進行している。自動車は後部座席もシートベルト。まだしてなくても黙認つうか即取り締まられたりしないので、誰もしてないが、そのうち車に乗る人はみんなメット被って乗る時代が来るかも知れない。

工事現場行っても安全管理はそれはそれは厳しく、星一徹みたいなノーヘルでランニング一枚でツルハシ振ってる人などもはやいない。ドカタも軟弱になり、ブルーカラーのワイルドさもそれにしたがって低減しているような気がする。

そうすると俺たちがゴキブリコンビナートで提示しているような世界観は古き時代へのノスタルジーなのか?と自問し始めてしまう。現代社会をリアルに切り取ってなどいなくて、昭和への懐古的気分を表現しているのではないかと。昭和とは?それはドカタが怖くて、ヤクザももっと怖くて、ヤンキーも本当に怖かった時代。俺たちは時代の流れに逆行しているのか?アナクロなのはまあいいけど、ノスタルジーはちょっと・・・

だが、抗菌砂場を見て、それはそれでいいのかもと思った。抗菌砂場なんてものを見たときに強く感じる違和感。それが今のモチベーションを支えている気がする

だが、俺も親になったら「抗菌砂場」を歓迎してしまうかも知れない。自分のガキが通う保育園が抗菌砂場じゃなかったら「なんで抗菌にしないんですか?」と、抗議してしまうかも知れない。あるいは自分が保育園の管理側だったら、そんな抗議が怖くてついつい抗菌砂場の導入に積極的に乗り出してしまうかも知れない。

個人情報の厳重な保護、禁煙化、シートベルトやヘルメットやらの義務づけ、ホームレスの市街地からの締め出し・・・この現代の傾向の一つ一つの項目に反論はない。だが、全体としてみると何か異を申し立てたくなるそんな気持ち。各論では納得しても総論では「ちょっと待って」と言いたくなる矛盾した気持ち。逆に言えば、「もっとアバウトでもっとおおらかでいいんじゃないの?」と主張したくても具体的に「これは?」「これは?」と示されると反論できなくて困ってしまう気持ち。

そんな気持ちが俺の現在の創作意欲の土台になっている、きっと。

そんなわけで「ゴキブリコンビナートの基本コンセプトは?」と、訊かれたらこう答えよう。

「アンチ抗菌砂場です。」


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自民党の今後に期待 [雑感]

民主党が大勝した。

まあ、俺は選挙には行かなかった。最近普通選挙制度廃止論者になったので、その理念により。

政治に詳しくない俺だが、政治について語るなんて柄でもない俺だが、そんな俺なりに今回の民主党大勝の理由を考えてみる。民の心理の動きを分析してみる。ざっとこんなところだろう。

不況その他で生活不安が増大
→どう対処していいか分からず途方に暮れる。とりあえず、政治のせいにしてみる。そうすると言いようのない不安がちょっと和らぐ気がする。
→現政権が諸悪の根源だ。自民党が悪いんだ。などと決めつけてみる。時代の混迷が突如スッキリ晴れたような気分になり、不安がさらに安らぐ。
→政権交代に気分がぐっと傾く。民主党に投票してみたくなる。

ざっとそんなところだろう。誰も本気で民主党に期待などしていないし、民主党が心から好きで支持した者などいない。俺は民主は三日天下に終わると予想している。「なんで生活が苦しいんだ。政治のせいだ。○○党が悪いんだ」という攻撃の矛先が自民から民主に変わるだけだ。それはわりとすぐだろう。庶民達は生活の愚痴や不都合を現政権にぶつけたくてうずうずしているのだ。

民は「俺たちの生活が貧しくつつましいのは政治家が無駄遣いしているからだ」と常日頃思っているので、民主が掲げる「埋蔵金」なるワードはそんな民の心をぐっとつかんだりしたのかも知れない。化けの皮が剥がれるのも時間の問題だ。そんな甘い話あるか。

そんでまた自民の時代にほどなく戻ると思われるが、今回の政権交代はむしろ自民党にいい薬となったのではないだろうか?なにしろ現在の政治体制が敷かれてからずっと自民党の第一党体制が続いてきた。きっと自民党の政治家達は、揺るがない地盤と人脈、票田の上でアグラをかき、大船に乗った気分で今までを過ごしてきたことだろう。見せかけだけでも民意を意識しないと政権がひっくり返ることもあるということを心の片隅に置くだけでも、多少違った政治の仕方をするかも知れない。国民の目を前より気にかけるようになるかも知れない。危機感をもって政治に臨むようになるかも知れない。

今回全然民主なんて支持しないけど、それを目論んで民主に入れた人も多かったのではないかと思う。そうすると、復権後の自民党はもう少し国民に親しまれる与党になっているかもよ。

ただし、今回の選挙に負けたダメージで分裂したりしそうで、怖い。党の運営がガタガタになったりね。復権どころの騒ぎではなくなるかも。そうなるとどうなるんだろう。民主が本当に自民に取って代わるだけの器量があるようには思えないので、民主がつぶれた暁には、いろんな党がせめぎあう群雄割拠状態になったりして。そうなったら困るだろうねえ。いろんな党がいろんな違うこと言い出せば国民は戸惑うだろう。「この党はこういうところがいいが、ここういうところがダメで、その点ではあの党の方が政策が優れているが・・・」みたいな複雑なこと考えられないよ、一部のエリート以外は。国民が対応できるのはせいぜい2党制までだろうね。

そんなわけで、自民が今回の敗北をあまり気にせず邁進すればいいのでは?なんて書いてみたが、政治に詳しい方、どうなんでしょ。俺は本当は自民もそんなに好きじゃないのだが、民主とか与党になると、生活上困ることあるんでね。俺は嫌韓・嫌中に関してはアンチなんだけど、自分が行くコンビニとかファストフードとかで客にため口とか使う中国人がこれ以上増えるとむかつくってだけなんだけど。民主の掲げる政策だとどんどん増えていきそうでねえ。

まあ、それは別な話か。
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