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BBG48とフェミニズム [社会]

BBG48で活動してると、よく女性から「女性の気持ちよく分かっていますね」って言われる。


とんでもない。


俺ぐらい女性の心が分からない人間はめったにいない。「女性って全く理解不能で謎な生き物だなー」って感じながら生きているよ。はっきりいって苦手である、ほぼ全女性が。

そう思いながら生きてきたからこそ、ゴキブリコンビナートは完全な男目線の作品をやっている。女性がドン引きするようなどす黒い男の本音をむき出しにする作風を自負している!

で、BBG48の作品群はどうやって作られているかというと、
「女性には理解しようもない男の小汚くどす黒い本音の部分」
をそのまま一人称を女性に代入して書き換えて作っている。

それが「女性の気持ちをよくわかっている」などと解釈されるのだから、世の中不思議だねー。


「男女のメンタルは永遠に平行線。永遠に分かり合えることなどない」

と思っていたら、意外に本質は似たようなものだったってこと?


「男女の性格に本質的な差などない。基本的に同質である。男女の非対称性など幻想。」などと結論付けると

フェミニストが喜びそうだな。


だが、そんな結論に達する気はない。「意外なところに男女の共通部分がある。でも全く同じではない」ぐらいの理解でいいだろう。

「男女に性格、趣味、趣向の違いがあるとすれば、それは男社会の長年に渡る抑圧が原因で、より人権に配慮した社会に向かえばそんなものは消失するはず」

というフェミニズムの主張には同意しない。

性ホルモンの分泌が男女の性格に影響を及ぼしてるので、完全に男女が同じ性格になるなんてことはないと思っている。だが、それも生物学的に結論付けられたものでは決してないので、あくまで勘ね。勘。推定。もちろん性ホルモンが性格に及ぼす影響などなく、男女の性格差は社会的なものという結論も特に出てない。現時点では誰もが勘、印象で語るしかない。


フェミニズムは「男は男らしく」「女は女らしく」という価値観とか、「男はこれがかっこいい」「女はかくあるのが魅力的」みたいな属性差、属性ごとにちがう評価軸で優劣をつけられる社会を変えていこうとしている。その理想的な状況とは容姿、ファッション、価値観、性格、趣味、すべてにおいて男女の差が個人差に埋もれてしまう社会だろう。その理想社会ではもはや初対面の人間を男か女か判別することはもはや不可能である。

そんな社会が果たして可能なのか?俺は可能だと思う。医学的に処理できる、もしくは将来処理できるようになりうると考える。もし男女差がホルモンの分泌から帰来するものだるなら、ホルモンの調整を幼児期よりすればいい。医学が本気でやれば、そんな遠い将来じゃなくても出来るようになりそうだ。胸の大きさも、体格差も、顔つきも男女の区別がなくなる社会は可能だと思う。


もっとも、俺はそんな社会はまっぴらゴメンである。まあ、明日突然そんな社会が実現するわけはなく、多分俺が死んだあとになるだろう。その時代に生まれついた人々は、それを当たり前だと思って受け入れて生きていくだろう。だから問題はない。別に心配はしていない。俺が生きている間は「平等も大事だが、平等より大事なものも時にはある」ぐらいな緩い平等観で生きていられるはず。



犬死とは何か [社会]

終戦記念日頃にネットで盛り上がった議論なので、その時に書きたかったが仕事が一番きつい時期でまとめる心の余裕がなかったので今書く。

テーマは「『英霊に感謝すべき』って右の人たちは言うけど、本当にそうなのか?」

今の平和と繁栄は戦争で死んでいった可哀想な兵隊さんたちのおかげなのか?死んでいった兵隊さんたちの恩恵って何かあるのか?犬死ではないのか?


例えばこういう言い方をする人がある。


こういうのは「論理的には犬死に反論ないけど、かわいそうだし失礼だから犬死呼ばわりはやめよう」という、言わば精神論である。右寄りの人は精神論大好きである。佐々木俊尚氏が特別ネトウヨだとは思わないが、そんな氏にしても発言が右に傾けば精神論臭くなる好例といえよう。ここでは精神論で議論はしたくない。上記のような発言は無視していい。


普通に考えれば負け戦で死んだ人はみんな犬死。恩恵などない。勝ってこその感謝である。なぜなら負けた戦争はやらない方がよかった戦争だから。やらない方がよかった戦争で死んだ人は無駄死にである。普通に考えて。


普通に考えればそうなのだが、歴史は複雑であり、一筋縄ではいかない。普通に考えればいいというものではない。ここが難しい。

ここでよく右の人が例に出すのがフィンランド冬戦争である。圧倒的な軍事力差があり、勝ち目のない戦争だったが、粘り強く抵抗したことにより、独立を維持できたというものである。負けた戦争でもやらない方がマシとは言えない例として挙げられる。


また、経済封鎖などで当時日本は戦争に参加する以外の選択肢がなかった、参戦は不可抗力だったという話もそれなりに説得力がある。では、戦争しなかったほうが今よりひどくなってたのだろうか?負けたのに?わからない!


それらのことを考え合わせると「負けたから犬死だ」とは一概に言えなくなる。負けたけどやったほうがよかった戦争なのかもしれない。どうなのか?結論を出すのは不可能だ。歴史は複雑だから「もし○○だったら?」をあまり厳密に突き詰めて何かを断言することは出来ないのだ。バタフライ効果って言葉もあるように。「やらない方がよかった」という断言がしづらくなってきた。「負けたけどやった方がよかったかもしれない」可能性もあるような気もしてくる。じゃあ何も言えないのか?


そんな時は始めたときの国民や偉い人達の気持ちを考えればいいだろう。「負けるかもしれないけど、やらないより、やった方がマシ」「多分負けるだろうけど、他に選択肢はない」そういう認識がアメリカに宣戦する時にあったかどうかだ。そんな悲壮な決意が上層部にあり、国民間にムードとして漂ってたのなら、結果的に負けたとしても、死んでいった兵士たちに感謝、敬意が自然と生まれてくる。そうじゃなくて絶対勝てるつもりだし、勝った上での展望しかもってなかったのなら、死んでいった兵士たちに向ける感情は単なる憐憫、同情以外のものはなくなる。「勝つ気満々だったけど、負けた。でも結果的にはやった方がよかった」などという論法は、説得力ないだろう。真なる可能性がゼロだとは言わないが。


さて、どうだろう。大戦初期に「負けるかもしれないけど、やった方がいい。やるしかない」という強い主張が公民やお偉い方々にあっただろうか?支配していただろうか?ムードとして漂っていただろうか?今のところ俺には逆の情報しかないけど。



ミスコン和洋対決 [社会]

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52212709.html


この記事面白かったなー。「ナマズ」「ドーナツ」「原爆」のネタがお気に入りです。あ、もちろん「おむつ」も。



昔の海外ってやっぱすごいなーと感心することひとしきり。だが、ちょっと待て。日本だってそこまではぶっ飛んでないけど、地味ーに狂ったミスコンなんかもあるんじゃないか?何しろ寂れゆく地方の村おこし、町おこしにかける執念たるや凄まじく、あまりに強きその情熱が、常識という名の枷を軽く弾き飛ばし、想像を絶するセンスの彼岸へ到達、都会人のヤワな神経を震え上がらせる強烈な味わいをもたらしてくれることもあるのではないか?



しかしながら、ミスコンそのものが今時斜陽イベントである。俺が若いころすでにミスコンにもミスコンで選ばれるタイプの女性にも特に興味が持てず、「アナクロなイベントだよなー。きっと中高年が盛り上がってるだけなんだろーなー」と思っていたが、そんな俺がいい中高年の年齢に達した今、社会の中枢を担う俺より若い世代がミスコンで盛り上がってるとは到底思えない。実際ゆるキャラとご当地アイドルに押されて各地でどんどん先細り的に衰退しているという。



実際どうなんだろう?ということでいろいろ見てみたのです。



●レベル1 まあ考えようによっては普通かもしれない



ひょうたん娘 http://ooi-hyoutanmatsuri.com/?p=719


ミス富士山 http://fujinomiya.gr.jp/miss-fujisan/index.html すごい体格を期待したら普通だった


ミス流氷 http://umi2008.seesaa.net/article/166980835.html


ミスおしまこ http://www.aomoricgu.ac.jp/blog/aomoricgu/topics/article-19016/ 何だろう


ガーリックレディー http://ameblo.jp/ed80s/entry-11995637783.html にんにくってモチーフが可愛くないなー。


馬関娘 http://shijimiii.hatenablog.com/entry/2014/08/26/224045 「バカ~ン」


デコポンレディ http://kumamon-official.jp/tokyo/blog/%E5%A4%A7%E7%94%B0%E5%B8%82%E5%A0%B4%E3%81%A7%E9%A0%91%E5%BC%B5%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%83%A2%E3%83%B3%EF%BC%81 日常的に「デコポン」がそこら辺に転がってる地元では別に違和感ないのだろうと思う。


地鶏娘 http://stylestore.jp/blog/user/S00046/110520156569/ いや、いいけどね、別に。


紅イモ娘 http://gen5ron.ti-da.net/e2358643.html いや、イモっぽい娘は好きだけどね個人的に。





●レベル2 突っ込みたくなる。ついつい何かしらコメントせずに入られない気分にさせる味わいのネーミング




ミス川開き http://kazuyoshiabe.net/archives/350 いや、いいけどね。


看板娘 http://www.shibata-cci.or.jp/zouni.htm これも謎だなー


ミス雛のつるし飾り http://izu-np.co.jp/feature/news/20131211iz1003000117000c.html 長いなー


ミス絞り http://www.shibori-kaikan.com/maitsu.html 短いなー。素っ気なさすぎ。


神戸豚まん娘 http://marutaro.blog.so-net.ne.jp/2014-05-21 豚まん娘に選ばれて嬉しいのだろうか?


女帝卑弥呼 http://www.nara-np.co.jp/20100204103624.html 「こんにちは。女帝卑弥呼です。」って自己紹介されたら驚くなー。




●レベル3 思わず「え?」ってなるレベル。強者カテゴリー。



わかやまポンチ姫 http://ameblo.jp/nisiyama12/image-11374011416-12225804661.html まことに女性らしいスイーツなミスコンなんだけど、応募する時何かが脳裏をよぎって思いとどまったりしないのかなー


紀の川ぷるぷる娘 http://umi2012.blog.so-net.ne.jp/archive/20150405 「こないだミスコンに選ばれたんだー」「へー、すごいねー。なんてミスコン?」って訊かれた時困らないのかなー。


モーモー娘 https://www.youtube.com/watch?v=Jqv_JmONRw4 略して「モー娘」だそうです。


ふで娘 http://cbastyle.exblog.jp/19047629/



ミスシャンシャン馬 http://photohito.com/photo/5001209/ 馬はないよなー


伊勢えびレディー http://ameblo.jp/wimaxgirls/image-10963952133-11371092023.html


神様 http://gazoo.com/my/sites/0001452111/takachiho006/Lists/Posts/Post.aspx?ID=17


くわがた http://manadigi.jp/gotouchi-denshirou



20年前もっとミスコンはなやかりし頃はもっとヘンテコなネーミングいっぱいあったのだろう。ネットで調べたのでそんな昔のを発掘できなかった。


ミス石油化学コンビナート(倉敷)とかミスムツゴロウ(有明湾)とかミス火山灰(桜島)とかあってもいいじゃんねー。


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爆発記念日によせて(前編) [社会]

「福島に住むのは危険です!一刻も早く避難してください!」

「避難してきましたよ」

「キャー!ピカがうつる!近寄らないで!」

 

 http://takedanet.com/archives/1013802442.html

 武田邦彦先生によれば今月中に日本に住めなくなる日が来るらしい。この予想が当たるか外れるかは分からないが、当たるにしろ外れるにしろ、「住めなくなる」と断言した人間が来月も日本に住み続けるなんて論理的にあり得ないので、来月には武田邦彦もその信者も日本にはいないことは間違いない。いけしゃあしゃあとさんまの番組とかに出るなよ

 そんなわけで、原発事故後に極端に危険を煽る発言が横行したが、彼らの情報源をたどると、武田邦彦やら上杉隆やらマヌケな発言をするやつらとか、怪しい商売をするやつら(クリス・バズビー)ばかりにいきあたり、そいつらの発言の整合性をしっかり観察すれば極端な危険派にはならないですむわけだが、まあ日々そんなに暇じゃなければ注意深く検証する暇もなく、騙されてしまう人もいるかも知れない。

 恐ろしい健康被害が出るという人と、そんなには出ないだろうという人、実際どちらが科学的なのか?ある場では預託実効線量がどうのLNT仮説がどうの線量率効果がどうの難しい議論がなされていて、もともと理系的素養があるかちょっとは勉強するかしないと議論に参加できない。日々忙しい人は教養を深める暇もなく、マヌケな発言者に騙されてしまうかも知れない。

 

だが、常識レベルで判定できることもある。それをこれから書いてみよう。

 

 例えば反原発の人がよく言う「同じ線量でも自然由来の放射線の方が人工放射線よりリスクが少ない」というもの。「養殖の魚より天然の方が栄養がたっぷりで美味しい」みたいなニュアンスが感じられ、エコ好きな奥様とかは騙されてしまいそうだ。だが、魚と放射線は違うのである。アルファ線はヘリウム原子核と同じ陽子と中性子2個ずつの粒子、ベータ線は電子、ガンマ線は可視光線と同じ仲間の電磁波。こういったものは魚や野菜のように、複雑な内部組織を持たない。個体ごとにみんな少しずつ違うような個性をもたない。波長であるとか運動量であるとか、限定された変数で性質はみんな一様に決まってしまい、例えば電子一個といったとき発生源が天然とか人工とか関係ない。そんなのは物理の基本であり、これが違うなら20世紀の物理学の成果が根底からくつがえされる。コペルニクスクラスの大変革がおこるような大胆な意見である。技術体系もくつがえるので、人工衛星は落ちてくるかも知れないし、ケータイは明日から使えなくなるかも知れない。

 

 だから「自然由来の方がマシ」なんて聞くと、中高の理科で平均レベルの点数を取ってた人や、科学の本を興味持ってよんだりしたことが一回でもあるような人なら「え?」って耳を疑ってしまうわけだが、もしかしたら反原発の人はそのくらいの「コペルニクスクラスの大変革」があり得ると思ってるかも知れない。あるいは、中高の理科の教科書レベルから御用学者の捏造で事実がねじ曲げられていると考えてるかも知れない。原発から利権を得ている御用学者が理科の教科書まで書き換えてるなんて常識的にはにわかには信じがたいが、この疑いは実は意外に根深く、根底的な反論が難しい。

 

 例えば、光の速度は毎秒30万km程度と科学の本に書いてある。これはマイケルソン・モーリーの実験で計測され、何度も追試され、いろんな観測事実と照合され、最早それが否定されるといろんなことが根底からくつがえされる前提的な真理のように扱われているが、我々のほとんどはマイケルソン・モーリーの実験を目撃などしてないのである。「じゃあやってみよう」と言われて目の前で展開されても、我々には何が起きたのか分からないし、機械の構造とかいくらでも疑う余地はある。計測機械の一つ一つについて一からつくるところから実験の全貌を見届けて、騙しがないかどうか完全にチェックすることは科学者でも不可能。科学に関して言えば、誰か知らない人が発見したことになっている観測やら法則やらを受け入れるしかない。つまり、権威を受け入れるところから始まるのである。疑い出せばいくらでも疑えるのである。

 

 学界でもはやゆるぎないものとされている前提的な定説でも、そこには「権威の受容」という怪しい基盤があり、そこを突けばいくらでも「捏造だ 利権だ 御用だ」と言えてしまう。理科の初歩知識でつっこめるタワゴトでも本気で信じてる人を動かすのは難しいのである。

 

 じゃあ、どうするか?御用だなんだというもはや認識論レベルの疑いの余地が入らない科学的つっこみは可能なのか?

 

 可能である。これについては長くなったので次回に続く!

 



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少子化問題を解決する方法を教えます [社会]

 子供の頃、「人口爆発がどんどん進み、日本も食糧危機が数年後には訪れる」と散々脅されていたので、「人口なんてあまり増えない方がいいんじゃないか?人類がいつかどうせ滅びるなら文明の暴走、資源の枯渇、戦争、天変地異、公害、疫病等による地獄絵図的な壊滅よりも人口減少による先細り的な終末の方が人類にとって幸せじゃないか?」と考える癖がついている。が、経済的には人口は余り減らず、若年人口が保たれている方がどうやらいいらしい。だから少子化はよくないのだ。経済学のことはよく分からん。
 で、何故少子化が進んでいるか?理由としてあげられるのは、長引く不況、格差拡大、社会不安、それらによって若者達が貧困化し余裕がなくなっている等だ。だから、もっと若者達が豊かになり、余裕が出来れば子作りに励むよりになり、少子化は止まるだろう。少子化問題へのコメントはおおむねそういう主旨で書かれている。政治のニュースから聞こえてくる言説も大体そんな調子だ。だが、それは本当だろうか?

逆じゃないか?と、思う。
 
 どうやったら少子化が抑えられ、若者達が子作りに励むようになるか?はっきり言おう。もっと貧困化を進めろと。格差を増大させ、一握りの豊かな層と大半の惨めな層に二極分化させ、最低限の文化的生活などとんでもない、明日も生きてられるかどうかのギリギリのラインまで追い込んでしまえ。
 自分1人が生きていけるかどうかも、ギリギリのラインで、子供など作れるか?みんな思うだろう?ところが、不思議なことに、ガンガン作り出すのである。これは歴史が実証している。そして、世界のニュースが。
 ベビーブームは戦争直後の最も国民が貧困に喘いでいた時代に起こった。戦争が終わった安堵感が原因なんて説得力の希薄な分析がウィキペディアなんかに書かれているが、今の若者より当時の若者の方が物質的経済的に豊かで余裕があったなんて言えるのか?
 あるいは人口爆発を起こしている国々を見てみるがいい。そこで子供をガンガン産んでいるのは、飢餓に喘いでいる超貧民層である。何故食うや食わずの境遇に置かれている人民がものすごい勢いで子供を生産するのか?もっと苦しくなるに決まってるのになぜやるのか?これが不思議でしょうがないと常々思っていた人はいっぱいいるだろう。ちなみにそういう国の貧困層は知識レベルも低く、バースコントロールへの意識が希薄だからという説明は成立しないらしい、コンドームを配給してもダメだったらしい。つまり、蒙昧だから後先考えずセックスしまくって結果望まれない子供を次々に孕んでいくわけじゃなく、ちゃんと子供を産みたがって産んでるらしい。
 あるいは現代日本において、早々と結婚し早々と妊娠出産を迎える層がどういう層なのか見てみるといい。それはセレブ、ハイソサエティーだろうか?経済的にはあまり上の方でないやんちゃで荒んだ階層の方が早婚、多産の傾向があるのではないか?
 代表的な例を挙げたが、世界のいろんな国々を見ても、歴史を概観しても、おおむね豊かな人よりギリギリの人の方が子作りに積極的な傾向がある。不思議なのだが、人間はそういう習性なんだと結論するしかない。

 なんとかこれにもっともらしい理由をひねりだすことが出来るとすれば、人間は余裕を持つと余暇・レジャー・趣味を大切にしようとしはじめ、ある者は哲学的なことに思いをめぐらせたり、ある者は妊娠に結びつかない性の形を追求し始めたり、ある者は仮想現実の異性の方がいいと思い始めたり、とにかく屈折し出すということだ。人類の自然な本能の形から遠ざかり出すのだ。
 これは統計的に掘り下げてないけど、自殺に関しても同様なのではないかと思う。明日生き延びられるかどうかわからない危険な状況ではあまり自殺って起こらないのではないか?食うに困らず、「俺は何のために生きているのか?」なんてことを考える時間がたっぷりあると何人かは自殺もいいなと思い始めるのではないか?この辺はあまり自信ないけど、自殺も豊かさとの相関関係があるような気がする。
 とにかく、余裕を持つと人間は「子供なんて作ったり育てたりする余裕なんてないなあ」と考え出す不思議な習性を持っているようだ。矛盾しているんだけど、そういう風に見える。
 だから、少子化を解決するにはもっと庶民から「生かさぬよう、殺さぬよう」徹底的に搾り取って、ぐうの音も出ない惨めで辛い状況に追い込むのが一番と思われる。変な理論だけど、歴史が実証しているのだからしょうがない。子育て支援などしない方がいいのかも。少子化大臣さん、むしろ子育て税とか導入してみては?

追記:東日本大震災の直後に被災者の間でちょっとした結婚ブームが起こったのを思い出した。過酷な状況の中で配偶者を求める気持ちは子供欲しい気持ちとは別口かもしれないけどね。

タグ:少子化問題
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いっそのこと福島第2原発稼働させろ [社会]

 数日前より日本中の原発が停止している。去年の事故以降原発は恐いのでほっとして、このままずっとそうならいいのにと願っている人も多いだろう。まあ稼働してなければ地震が来ても平気なわけではない。

 これから夏を迎えるが、停電なしに電力消費量ピークの季節を超えることは出来るだろうか?電力は原発などなくても余り余っているという人たちがいる。曰く、「原発なしでは電気が足りなくなる」などというのは、東電の作った真っ赤な嘘であると。原発の利権で甘い汁を吸いたい奴らが垂れ流すガセであると。東電に隠蔽体質があるというのは俺も認めるが、何もかもが嘘で電気は余り余ってるなんてのは、個人的には信用しがたい。特にその手の主張をする人たちにユダヤ資本がどうのとか陰謀論をふりかざす輩が多いのでなおさらである。そういう過激な反原発派は東電幹部以上に信用しがたい。やはり電気は足りるか足りないかギリギリなのでは?

 もし足りなかったらどうするか?節電。結構なことである。俺も今自分の部屋は劇団の資材で物置状態になっていて、ロフトで寝食をとっている。エアコンはロフトには効かないので使用しないことだろう。灼熱地獄に耐えて、節電に貢献だ!

 だが、節電してもまだ足りなかったら?もう少し足りなかったら?文明を根本から変革する?新しい発電方法の開発導入?長いスパンでは考えて行かなくてはならない方法かも知れないが、今夏には間に合わない。数ヶ月後のことを考える上では現実的じゃない。

 今止まってる原発のどれかを結局稼働させなくてはならないとなったとき、どの原発を稼働させればいいか?一番無難なのは福島第2原発だろう。世の中の空気に一番逆らう決断で、「福島第2だけはダメ」と叫ぶ人も多いだろうが、これには理由がある。

●その1、第2は第1と比べて地震、津波に強いようだ。去年の地震の同レベルのやつが来てもおそらく持ちこたえるだろう。福島以外の原発はどうか?非常に不安である。前例ないし。福島第2は実績を作ってしまったのだ。色んな偶然が重なってまぐれで持ちこたえたのかも知れないが、それにしても耐震、対津波対策がほかより立てやすいのではないか?

●その2、地学上の理由。地震はどういうメカニズムで起こるか?一概には言えない複雑なメカニズムがあるとは思うが、あえて簡略化して言えば、地中のあるポイント(プレートとか)にストレスが蓄積し、それが許容限度を超えたときに地震が発生する。だから大地震が起きたばっかりの地点はしばらくは大丈夫・・・なんて簡単に言い切ってしまえるものではないが(メカニズムは複雑なので)、今後数十年〜数百年最も大地震が来る確率の低いエリアは去年来たばっかりのエリアだろう。人情として、来たばっかりの地方が地震の不安も大きく対策も重点的になされるが、それは正しいとは言えない。

●その3,これが一番非情で市民の反感を買いそうだが、万一地震が起きてしまったときのダメージとパニックに関して。第2原発周辺はもう余り人が住んでいない。避難してどっかに行ってしまったのだ。既に避難して住民が減っているエリア。そんなエリアこそパニックとダメージを最低レベルの抑えるのに最適なエリアではないか?

 以上の3点により、もし日本のどこかの原発を再稼働させざるを得ないとしてもっとも最適なのは福島第2原発ってことになるだろう。だが、おそらく政治も電力会社もそんな決断はしないだろう。人間には感情ってものがあるからだ。どれかを稼働させるってなったら、「この数百年、千年で地震の記録があまりない地域」の原発を選びたくなることだろう。だが、場合によってはそれが一番危険かも知れない。

 感情論は危険な側面を持つが、人間の本性としてそれから逃れることは出来ない。理性はそんなに強くないのだ。

タグ:原発 福島
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「ひとつになろう日本」 [社会]

○ホテルなどが原発からの避難者を宿泊拒否 
○避難所が原発からの避難者に放射線検査の「スクリーニング」の証明書を要求 
○川口医師会による避難者への診療拒否←今ここ 

−今後予想される事態 

●主婦の井戸端会議 

「あそこに越してきた○○さんって原発の町から来たんですって」 
「あらー。怖いわねえ。」 

●小学校で 

「やーいやーいヒバクヒバク」 
「ヒバクしてないよお」 
「近づくんじゃねえよ。あっち行けヒバク」 
「痛い痛い 石投げないで。先生、助けて」 
「○○君は隅の方でおとなしくしてなさい」 

●あるいは近所のご家庭で 

「○○さんちの子とは遊んじゃいけません」 
「なんで」 
「放射能がうつるでしょ」 

そして、越してきた家の塀一面に落書きが 
「放射能は町から出て行け」等・・・ 

以上の事態はこの後絶対起こる。非難や怒りを書き連ねるつもりはない。誰も非難など出来ない。人間なんてそんなもんだ。 

TVをつけると、アイドルタレントやスポーツ選手が満面の笑顔で連呼しているのが聞こえる。「ひとつになろうニッポン」・・・

タグ:原発
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祝!オリンピック開催地決定 [社会]

 石原都知事ざまあ

 なんて2ちゃんねるみたいな小汚い言葉遣いで始めてみましたが、石原氏ばかりが熱を上げ、都民、国民もクールに受け流してた「東京オリンピックワンスモア」キャンペーンに結論が出ました。東京オリンピックなんて俺も生まれてない、40+数年前のことで、今や東京オリンピックを味わった方々の半分が死に、「オリンピックを知らない子供達」が人口の過半数を超える時期とあいなってしまったわけで、全世代に一生一度はオリンピックフィーバーをあまねく味わって欲しい、オリンピックの思い出を冥土のみやげに携えて欲しいと考えるなら、そろそろやるのが正解?そんな考え方もあるかも知れない。だったら戦争もやれ、しかも核戦争。いや、嘘です。

 だが、世界規模で考えたら半世紀に満たない間に2度もなんて、やりすぎだろう。そんな都市ない。いや、調べてないので、あるかも知れないけど、俺が生まれて以降はない筈。冬期を混ぜるとここ半世紀に3回もやってる、日本国内で。どう考えても一つの国でそれはやりすぎだろう。世界にいくつ国があるってんだ。リヒテンシュタインとかにもやらせてやれよ。あと、ニウエとか。

 まあモナコやバチカン市国で開催すれば、下手したら競技施設面積が国土面積を超え、誰も住めなくなってしまうので全ての国に平等にとはいかないだろうが、それにしても近代オリンピックが始まってから、開催されてない国の方が圧倒的に多い中で、一つの国や都市が2回も3回もやりたがるとはいかがなものか?

 どうせ石原氏のことだから「日本は神の国だし、世界のどの国よりも優秀な民族だから当然他国よりしょっちゅうやっていいはずだ」とか思ってるんだろう。さすが特攻隊美化映画を撮るだけのことはあるな。扶桑社の社会科教科書の支持者はみんな誘致に賛成だったんだろう、きっと。

 かつて東京オリンピックが行われた高度成長期は、オリンピックをきっかけにますます発展・躍進する日本に期待するムードがあったんだろうな。だから誰もが開催を歓迎した。きっと今回決まった南米都市とかが今そんな段階なんだろう。今の日本は違う。オリンピックが来たら、交通規制やら余計な工事やら無駄な特別番組やら日常がかき乱されること甚だしい。そこまでしてさらなる成長を望んでないのだ。オリンピックなぞ来たらうざいだけだ。

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