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彼氏がモテモテで何が嬉しいの? [マンガ]

ネットでマンガを読むようになると、雑誌買って読んでる頃には目に触れないようなマンガに触れざるを得ない時もある。触れざるを得ない時は大体高速スクロールでやり過ごすんだが、たまに気まぐれでちゃんと読んでしまうこともある。もともと興味ないはずのジャンルのマンガをな。例えば少女マンガとか。

 

で、2作ほど目を通してしまった。少女マンガに触れるなんて、妹が買ってくるやつを盗み読んでた高校生時代の40年近く前以来なんだけど、あまり変わってなくて驚いた。つうか少女マンガというジャンルがまだ絶滅してないこと自体が驚きなんだけど。

で、2作とも

「地味目の主人公がモテモテ男子とおもわぬところで接点を持つ。モテ男子のみんなが知らない一面に触れて他の取り巻きとは違う形の接点を持つ」

という共通の設定になっており、ワロタ。たまたま触れた2作がそうなら、現代の少女マンガ全部そうなのか?まあ、40年前触れてたマンガ達もだいたいそうだったな。主人公が好きになる男子はだいたいモテモテ。これは何なんだろう。みんなにうらやましがられて嫉妬されたいっていう隠れた欲望でもあるのかね?

 

少年マンガにはあまりそういうのはない。ヒロインがモテてるかどうかとかあまり問題にされない。それよりも女子の描写が読者の目(つまり同時に主人公の目に)にとって魅力的な造形になっているか(萌えれるか)?に心血が注がれてるように思う。

 

そこで思い出すのがフェミニストが提起してる「トロフィーワイフ」なる概念なんだけど、つまり、「みんなにうらやましがられ、自慢したいためにいい女を手にしたいんだろ」という男性批判。これ、多くの男性にとってあまりにピンとこないと思う。だっておいしいご馳走を食べたいと思う時、それはおいしいご馳走が食べたいからで、「後でおいしいご馳走食べたことを自慢したい」欲望など二の次だろ?そういう気持ちがないとは言わないがメインなわけないだろ?ジェンダー批判の人たちの男性洞察はだいたいピントが外れている。つうか、それ、むしろ女の話では?女性心理を男に当てはめてない?トロフィーをほしがりがちなのはむしろ女では?

 

はっきり言ってお前の話だろ!トロフィー欲しいのはお前だろ!

 

で、少年マンガで相手の女の子がモテモテなことは少ないと書いたが、じゃあ、誰がモテてるかというと、主人公自身なのである。さえない主人公男子が出会う女にいちいち好かれる、気に入られるという王道パターン。みんなが憧れるヒロインを射止める話よりずっとそっちのパターンが多い?男はどうやらモテ女子を射止めるより自分自身がモテたいようだ。そして少女マンガによれば、女は自分自身がモテるよりはモテ男子を射止めたい!あれ?少女マンガと少年マンガ、基本構造一緒じゃね?噛み合ってね?

 

もちろん少女マンガのモテ男子は少年マンガのラブコメに出てくるようなさえないのび太タイプじゃなく、キラキラしたイケメン王子様なので噛み合ってるとは言えないが、近い非対称性を描いてることが大変興味深い。この非対称性、フェミはけしからんというだろう。俺はフェミじゃないから言わない。大いに好ましいとも言わないけどね(あまりにワンパターンで「またか」と思うことも多いから)。


嫌いなマンガベスト5 [マンガ]

嫌いなマンガベスト5をあげてみようと思う。

といっても本当に嫌いなマンガは視野に入ってこないように無意識に避けているだろうから情報も入ってこなくなり、その存在が気にならなくなっているかもしれない。嫌いになっていることなっていることすら忘れて、嫌いなマンガとは?と問いかけた時、念頭にすら上がってこなくなってるかもしれない。 だがこれからあげるマンガは、
「何だこのマンガ。嫌いだ。そしてこの気持誰かにいいたい」
と、思いながら時々つい読んでしまうタイプのマンガである。本当は好きかもしれない。

ちなみに全マンガ史、俺の前マンガ読書歴から選ぶと大変な作業になるし、大昔のマンガとか読んでる方も調べないとわからないのばっかり出てきそうなので、現在連載中のものに絞ることにする。 

5位「トクサツガガガ」
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別にOLが特撮好きでも別にいいと思うが、なんか主人公のキャラが愛せない。OLが特撮ヲタであることからくる悩みやトラブルや悲喜こもごもを面白おかしく描いてるが、本当は「誰がどんな趣味でも無条件に許されるべき」というおおらかな思考じゃないんじゃないかとも思えてくる。あと、このマンガ、毎回全体になんか説教臭い。 

4位「チェーザレ」
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モーニング誌も昔よりは女性読者も増えただろうし、少女マンガ出身の青年マンガ描きも増えているところからこういうマンガがおっさん向け青年誌に描かれるのも時代の必然なのだろうか?中世イタリアの政治的な陰謀やら野望やら描いている。そう書くと面白そうだが、主人公はじめ主要登場人物がみんなキラキラしすぎ。俺みたいなオッサン読者には虫唾が走る。女性向け雑誌に連載されていたらここにランクインされることもなかっただろう。
他でやれ。 

3位「鬼灯の冷徹」
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何号かに1回は読んでしまう。実際読むとつまらないということはない。だが、同時に「うわっ苦手」という気分も強烈に沸き立ってくるという困ったマンガ。 

描いてる人は女性っぽいが、オタクだろ?まちがいなく。いや、オタクネタ別にこのマンガにないんだけど、矮小化とでも言えばいいの?地獄とか悪魔とか本来おどろおどろしく描かれるべきものを可愛くライトに時にしょぼく描くことから生まれるギャップのギャグ。その笑いのセンスがどうしようもなくオタク臭い。ゆうきまさみにも通じるかなー。日頃よりリア充よりオタクの味方でありたいと発言している俺であるが、こういうのに接すると思わず
「オタク死ね」
と、叫んでしまいそうになる。読まなければいいんだけどなー。 

2位「かなたかける」
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高橋しんの作品なので絵柄といいストーリーといい反吐が出そう。やだやだやだやだ全てがやだ(だが、毎号読んでしまう)。

1位「コタローは一人暮らし」 
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複雑な家庭環境で普通に見れば「かわいそう」な境遇に置かれた小さな男の子が、そんな素振りも見せず強がっていてそれがまた健気でそれに振り回される大人たちもなんだか愛おしいという趣旨のマンガだが …

全然愛おしくねえよ。

ガキもそれに振り回される大人たちもまとめて皆殺しにしたくなるそんなマンガ。殺人衝動を助長するキケンなマンガである。

そんなわけでいつもは冷静で論理的な分析がウリな俺のコラムであるが(え?ちがう?)、今回に限っては感情ばっかりになっちまった。たまにはいいだろ? 

 


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あえて嫌いなマンガをほめてみる [マンガ]

さて、あえてファンでもないマンガをほめてみよう。別にたいして好きでもないのに、興味深く、感心するマンガがある。
とめはねっ! 6 (ヤングサンデーコミックス)

とめはねっ! 6 (ヤングサンデーコミックス)

  • 作者: 河合 克敏
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2010/01/07
  • メディア: コミック
ビッグコミックスピリッツ連載「とめはねっ!鈴里高校書道部」だ。スピリッツとヤンサンが合体したときヤンサンから引っ越してきた連載だな。

このマンガがどういうマンガかというと、まあスピリッツとかさ少年サンデーとかによくある、特に少年サンデーの誌風を特徴づける「ラブコメめいたスポ根ぽいもの」に属するな。いや、サンデーの場合は「スポ根」から「根」が抜けるのだけど。書道がテーマだから「スポーツ」じゃないだろ?って?じゃあどう言えばいいのかな?何かに打ち込んでて、競ってて、主人公の成長を描いてて、ライバルとかいて・・・だからとりあえずそれでいいだろ?

で、作者の河合克敏ってのは一貫して今述べた「サンデー風スポ根(「根」抜き)マンガ」の典型を描き続けて来た漫画家。まず、初の連載『帯ギュ』

帯をギュッとね! (1) (小学館文庫)

帯をギュッとね! (1) (小学館文庫)

  • 作者: 河合 克敏
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2002/10
  • メディア: 文庫
柔道マンガなのに汗臭くなく、男臭くなく、むさ苦しくなく、ラブコメ要素満載の画期的柔道マンガとして評判になった。

ジャンプはじめ他の少年誌のスポーツマンガが過酷なトレーニングや超人的なプレイ、男臭い人間関係などでストーリーを盛り上げる中、サンデーだけはこうした悪いいい方をすれば軟弱なスポーツマンガを打ち出して人気を集めた。これはあだち充が開拓した分野なんだろうな。河合克敏はその路線のど真ん中に位置する作家だ。

モンキーターン (1) (少年サンデーコミックス)

モンキーターン (1) (少年サンデーコミックス)

  • 作者: 河合 克敏
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1997/03
  • メディア: コミック
『モンキーターン』
これは、競艇というワイルドかつダーティーなオヤジが集結する現場をオシャレでさわやかに描いた競艇ラブコメマンガ。そんな感じで河合は小学館少年マンガの特徴—軟弱さわやかスポーツ路線を最も具現する作家の1人として活躍してきたわけだが、最新作「とめはねっ!!」においてその路線のあるファクターを極限化し、今までにない味わいの画期的な路線を打ち出した。それは何か?

イケメンじゃない主人公のフィーチャーである。

今までのスポーツマンガの場合、男臭くないとはいえ、主人公は読者が憧れるかっこいいキャラクターでなくてはならないので、それなりに「男らしく」描かれてきた。普段は女のケツを追いかけてドキドキしたり、モジモジしたりしてても、心の芯の部分には強い意志や男気を持ち、決めるときは決めるみたいな。そういう部分が「とめはねっ!」主人公大江縁にはまったくない。意志は薄弱で影が薄く、女ばかりの部活でいじられキャラを全うし、意中の娘の前ではひたすらモジモジ、ニヤニヤ。絵柄もまぶた半開きで全然かっこよくなく、とにかくダサい。はっきりいって気持ち悪い!軟弱路線の極致である。こうもかっこよくなくていいのだろうか?

だが、コレって何だろう?って考えると、今まで描かれてきた「さわやかスポーツもの」の読者の典型像って気がする。あだち充とか河合とかのマンガで描かれるかっこいい主人公の活躍をニヤニヤしながら読んでる読者を思い浮かべると大江縁のキャラクターが脳裏に浮かび上がって来るではないか!!他少年誌のヤンキー、超人、うざいくらいな積極性キャラの持ち主が渦巻くアツい世界を敬遠してサンデーなんかに群がってくる羊のようにおとなしく牙を抜かれた思春期青少年の本当の顔。それを描いてしまったのだ。いいのだろうか?こんなにも等身大でいいのだろうか?

完全なリアリズムは嫌悪を生む。本物のリアルより少しランク上を描いてちょっと憧れの要素を入れた方が読者には受ける。これはマンガに限らずあらゆる表現、エンターテイメントで通用する鉄則である。誰も等身大のさえない現実とは向き合いたくない。騙して欲しいと願っているのだ。

その常識を完全にぶちやぶった「さえない主人公」。だが、それなりに人気があるようだ。すごいことだと思う。漫画界の歴史的偉業をなしとげたといっていいだろう。

といっても俺個人は好き・嫌いで言ったら嫌いだけどね。俺サンデー路線の支持者じゃないしもともと。でも感心するのは事実。つい毎回読んでしまう。

まだ観てないが、ドラマ化したの今テレビで放映中で、やはりドラマの鉄則「主人公にはジャニーズ他イケメンを使うべし」を完全無視したもっさりした若者を主人公に据えて展開してるようだ。すげー!

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