純文学なんぞに興味はないけれど [文化]
これを読んでいるみんなはわかってると思うが、俺の基本姿勢はアンチインテリなので、純文学なんぞに興味はない。ドカタでも理解出来るわかりやすいエンターテイメントのみを支持し、基本小説なんて読まないが、たまに読むとしてもミステリーとかSFとかエンタメ度の高いものばかりである。
ただピース又吉の作品が本当に純文学なのかどうか気になる。野次馬的に。野次馬的だから読まない。まあ、ある作品が純文学かどうか読んだところで俺には分からないけどね。
スピリッツ誌で「花火」のマンガ化したやつが連載されていたが、マンガのくせに文字だらけ。しかも内面の吐露ばかりで
「タルいなー」
という印象しかなく、楽しめなかったが、その楽しめなさこそが逆に純文学なのかなー、と思わせた。まあマンガ家が下手くそなだけかもしれないが(たとえ純文学じゃなくても小説内に書かれている内面吐露をそのまま文字に起こせば、そりゃーマンガとしてダメなものになるに決まってる)。
そこでこの記事
https://trilltrill.jp/articles/472384
作家の湊かなえ氏が押切もえのノミネートに不満を漏らした。漏らしついでに又吉氏のことも引き合いに出した。それに乗っかる形で筒井康隆氏は押切もえを「女又吉」と批判。
作家としてのプライドが強い反感を引き出したのだろう。「タレントの余興と一緒くたにするな」と。
湊かなえ氏の作品は「告白」しか読んだことないけど面白かったなー。夢中になって一気に読んだ。ちなみに純文学とは思わなかった。優れたエンタメだと思った。だって難しくないもん。インテリにしかわからないような作品じゃないもん。
だからプライドっつってもエンタメ作家としてのプライドなんだろうけどね。純文学側からのダメ出しではない。
ただし、出版界は近年凋落の傾向にあり、特に文学の売り上げの落ち込みが激しいという。そんな中、タレント本で話題を作り凋落を回避できればという政治的理由が文学賞の選考過程に持ち込まれればそりゃあまじめに小説書いてる人は気分良くないだろう。たとえエンタメ系だろうと。
じゃー湊かなえさんみたいなエンタメ作家(褒めてます)ではなく、本格的に純文学側の人は又吉の活躍をどう思ってるのか?エンタメ作家以上に怒ってるのか?タレントの余興を話題作りで持ち上げてると強く批判しているか?
純文学にあまり詳しくない俺の知識の中でエンタメの匂いのしない純文学作家として真っ先に脳裏に浮かんだのは古井由吉という名前だった。まだ俺も若くてインテリっぽいものを今ほど拒否してなくて「たまには難しい本を読んで頭よくなろう」などと思っていた時期一番難しいと思った小説が古井由吉の「杳子」だった(他にも難しい小説などいろいろあると思うが、知らない)。まさに内面ばかり。しかも感情移入させてはくれない病的な内面展開。まさにエンタメの対極である(あくまで俺の印象だけどね)。
で、早速「古井由吉 又吉直樹」で検索すると、なんと古井氏、又吉を褒めているではないか!
https://matome.naver.jp/odai/2146345337807803701
実は湊氏、辛口コメントの直後には押切もえの受賞を歓迎するコメントに切り替わっていて、やはりエンタメ作家は、売れてナンボ、稼いでナンボ。出版界の政治力学には逆らえないんだなーと、思ってしまうが、非エンタメ界の重鎮古井由吉氏にそんな力学が作用するわけない。きっと本気で褒めているのだろう。
というわけで純文学中の純文学、古井由吉が褒めたので又吉直樹の純文学性も本物!話題作りのためのインチキ受賞ではないという結論が俺の中で出た。俺の野次馬的疑問は解消された。
え?あっさり解決しすぎるって?すみません、本格インテリじゃないのでこのくらいの調査が限度です。あの作家が褒めてたとか、あの作家がけなしてたとか情報があったらお知らせください。野次馬的的興味でにお待ちしてます。
押切もえがどんな作品を書くのかは又吉以上に興味ない。水嶋ヒロも興味ない。
「グレイテスト・ショーマン」と俺 [文化]
相撲を滅ぼさないために(滅んでも別にいいけど) [文化]
そもそも何で外人が入ってきてしまうのか?恐らくどの部屋の親方も「日本の相撲をさらにハイレベルにし、盛んにするため外国人力士を積極的に起用するのが望ましい」なんて思ってないはずだ。外人など少ないほうが国技らしくていいと思ってると思う。なら何故起用するのか?他の部屋が強い外人を呼ぶかもしれないから、自分が呼ばないと損するから呼ぶのだ。これはまるで囚人のジレンマである。囚人のジレンマ、つまり全体を良くする選択肢があっても、自分だけが損する可能性があると、全体としては悪い方向に進むけど自分の損が少ない選択肢を選んでしまうというジレンマ。協力より裏切りを人は選んでしまうのだ。
俺は本当は下品の味方じゃないのかもしれない。 [文化]
(よく知らないけど)鳥肌実のこと [文化]
鳥肌実の名前を知ったのは、雑談でもネットでもなく、とある劇団(仮にHJとする)からとあるイベントに呼ばれてそのHJの制作チーム(仮にHTとする)の代表のRさんと打ち合わせしていた時のこと。打ち合わせついでな雑談の中て
「RさんはHJやる前は何かやってたんですか?」
「鳥肌実を」
「へえ(初耳)。で、その鳥肌実って方は何をする方なんですか?芝居?コント?」
「演説です。」
「え?」
「演説です。」
「演説…演説?」
「演説です。」
ということで強烈な印象とともに鳥肌実という名前を刻みつけられる1幕があったわけだ。
その後、鳥肌実の事務所で制作手伝いしてた人がわが劇団のスタッフに加わったり、病気マンが鳥肌イベントの前座で呼ばれたり、ツイッターのプロフィールに「好きなもの:ゴキコン」って書いてくれる人が同時に鳥肌実のファンだったり、オメスの彼女(当時)が強引なナンパを受けあの車に押し込まれそうになったりして、直接の絡みはないけど身近なところで名前を頻繁に聞くようになっていった。
で、最近見つけたまとめ記事
右翼的なものをネタで、パロディとしてやってるのかと思ったら、ガチだった。がっかりした。ゆえにシールズ的なものに冷笑的な立場を取る今までのサブカル的なノリは死んだ。これからはポップ文化も意識高くなきゃダメという論旨はまあむちゃくちゃでマジメに読む価値などないんだけど…
ネタかガチなのか?パロディなのか真剣なのか分からない一線をキープするってのは俺もやってること(右翼ネタじゃないけど)なので、その一線を守るのによりシビアなバランス感覚が求められる時代になって来ているのはひしひしと感じているので、その点だけにおいて興味深い。
イベント用短編作品で、シャム3兄弟のコントがあり、人生の苛酷さ、境遇の辛さを吐露した後、「これも政治が悪いんだ!」と、ものすごいテンションで政治の悪口は吐きまくるという展開があり、「あー、不幸な境遇をすぐ政治のせいにする人っているよねー」というのを踏まえたギャグであり、「小渕(当時)死ねー」とか叫ぶと「あー、くだらねー」という笑いが起こったものだが、今この作品を再演するとして、「安倍死ねー」と叫べばギャグになるか?というと、ならない。あの時は「おぶち死ねー」って言葉聞いただけで「何言ってんだこいつは?バカか?」って空気になったのだが、今はならない。ネタとガチのバランスの感覚が以前と変わってきてるのである。
まあ変わったら変わったで別なバランスで勝負するだけだが。我々は、ね。
で、鳥肌氏はそのバランスの取り方に失敗したのか?彼の演説作品とやらを一度も見たことないので、それについては何も言えない。
「ワイルド・スピード」観に行きたい [文化]
ストイックでいいんだよ、芸術なんだから [文化]
あゆ、そして岡崎 [文化]
日本映画の正しいあり方について [文化]
すげえなビジュアル系 [文化]
http://www.vantan.com/campaign/visualmake/?aid=pckwvm1009&cid=pc_gorm_pro_hm_ma&s_kwcid=TC
ビジュアル系バンドに特化されたヘアメイクアーティストって・・・そんな確立した職業があるんだ。そして学校で専攻するほど需要があるんだ。
ビジュアル系ってずいぶんとシステムが完成された産業なんだな。ビジュアル系専門のスタイリストとかもどっかで養成されているのか?バンドの皆さんはインディーズでライブ活動しながら「ビジュアル系専門作詞講座」や「ビジュアル系専門ボイスレッスン」に通ったりするのか?だからみんな発声法が似通ってるのか?
レコード会社から「君たちもそろそろメジャーデビューだから」って紹介されるのか?「俺たちもそろそろ売れてきたからプロのメイクが欲しいな」なんてバンド内の会話があるのか?
そして、ラルクとかは「うちらビジュアル系じゃないんでそこの出身者はNGです」って言ってるのか?
彼らのメイクって自前または売れない頃からの仲間とかがやってるのかと思った。
教室で机並べて、「はい、みなさん今日は髪の逆立て方です。目標は1m」とかやってるのか?「そのアイメイクはいくらビジュアル系だからって濃すぎ!センス悪いよ」って怒られたりするのか?(センスはそもそも悪いだろ?)
生徒さん達はビジュアル系メイクを一生の仕事にするつもりで通ってるのか?多分それは無理だよ。
とりあえずビジュアル系なる音楽ジャンルがアウトローさ、既成概念への反逆なんてのとは無縁のもので、背徳や退廃、精神錯乱を歌ってもそれは形だけのものだってことがよく分かった。
いや、前からそう思ってたけど。