とてつもなく地味なミュージカル
「どうしてミュージカルを選んだの?」
って聞かれると理由として吐き出したい言葉がいっぱい脳内に湧き出して、奔流を形成し、そのテーマで何分でも何十分でもしゃべってしまいそうだが、あえて一言で済ませるなら
「派手にしやすいから」
となる。
そう、「より派手な演劇をつくりたい」と思った時に都合がいいんだ。
歌があり、ダンスがあり、それを盛り上げるための照明やら装置やら付随していく。自ずと作品は派手なものとなっていくだろう。逆に地味に作るのが難しいほどだ。
じゃあ、あえて不毛な問いを立ててみる事にしよう。
「地味なミュージカルを作るにはどうすればいいか?」
そうだなー・・・普通に考えていくと
●衣装は稽古着のまま
●舞台は一切装飾がなく、素舞台のまま
●人間関係のドラマは発生せず、基本長ゼリフばっかり
とかでやってくといいのかなー。そんな風にみんな考えるだろ?
実はそれを実現してしまったミュージカルがあるんだ。その作品名を
「コーラス・ライン」
という。
「え?『♪ワン・・・』って歌うやつだろ?キラキラした衣装着て派手に踊ってるイメージあるけど?」
そう、作品名で検索するとそういう派手な写真出てくるよな。宝塚みたいなやつ。
あれね。本編じゃないから。付録みたいなやつだから。
メインの話はひたすら自己紹介(長ゼリフ)。設定はオーディション。登場人物どうしの人間関係のドラマはほとんどない。(実はちょっとある。演出家とオーディション生に紛れ込んだ元カノとのどうでもいい痴話ゲンカ)
「いや、『CATS』だって全編自己紹介みたいなもんだろ?」
そう。実は構造がちょっと「Cats」と似ている。ある目的を持ったライバル達が集まり、順番にプレゼンしていくというところが。でも「Cats」は地味じゃないよな。一匹一匹のエピソードをそれぞれ単独で見ても見応えあるものにするための最大限の工夫がされている。
横一列に並んで順番に長ゼリフとかじゃない!
そんな「コーラス・ライン」の映画を見て「地味へと向かう謎の意志」を見せつけられて衝撃を受け、しばらく忘れてたのだが、舞台版をやってると聞いて観に行ったぜ。映画では素舞台だったけど、
「空っぽのホールを映像で見せるのと本当に空っぽのホールを見せつけられるのと違うだろ?一体どんな気持ちになるのか?」
つまらない事を承知の上で興味に負けて観に行ってしまったぜ。
結果は・・・やっぱり映画と同じようにつまらなかった。ちなみに素舞台のままではなかった。といって派手な装置とかはもちろんない。シンプルの極みである事には変わりはない。なぜそんな倒錯的な事をやろうとするのか。なぜ人気作品なのか?
なお、映画では「延々オーディションを見せつけられた後、付録のように本番シーンがはじまった!」ってなる「♪ワン・・・」のシーンだが、舞台版ではカーテンコール扱いになってたぜ。
「一番派手なシーンがカーテンコール」
そんなミュージカルがあっていいものだろうか?だが、実在するのである。その名は
「コーラス・ライン」
あの自己紹介が終わるごとに拍手が起こるお約束は何だったんだろうか?クラシックバレエ?
本当に存在自体が謎なミュージカルだなー。当劇団のファンにアレが好きな人はいないと思うけど、いたら魅力を教えて欲しい。どんな心理状態で楽しむ作品なのか?
でも、オーディションをテーマにしたミュージカルって意外に多いんだよなー。俺は基本的に「オーディションが主内容」って聞いただけで萎える。
彼氏がモテモテで何が嬉しいの? [マンガ]
ネットでマンガを読むようになると、雑誌買って読んでる頃には目に触れないようなマンガに触れざるを得ない時もある。触れざるを得ない時は大体高速スクロールでやり過ごすんだが、たまに気まぐれでちゃんと読んでしまうこともある。もともと興味ないはずのジャンルのマンガをな。例えば少女マンガとか。
で、2作ほど目を通してしまった。少女マンガに触れるなんて、妹が買ってくるやつを盗み読んでた高校生時代の40年近く前以来なんだけど、あまり変わってなくて驚いた。つうか少女マンガというジャンルがまだ絶滅してないこと自体が驚きなんだけど。
で、2作とも
「地味目の主人公がモテモテ男子とおもわぬところで接点を持つ。モテ男子のみんなが知らない一面に触れて他の取り巻きとは違う形の接点を持つ」
という共通の設定になっており、ワロタ。たまたま触れた2作がそうなら、現代の少女マンガ全部そうなのか?まあ、40年前触れてたマンガ達もだいたいそうだったな。主人公が好きになる男子はだいたいモテモテ。これは何なんだろう。みんなにうらやましがられて嫉妬されたいっていう隠れた欲望でもあるのかね?
少年マンガにはあまりそういうのはない。ヒロインがモテてるかどうかとかあまり問題にされない。それよりも女子の描写が読者の目(つまり同時に主人公の目に)にとって魅力的な造形になっているか(萌えれるか)?に心血が注がれてるように思う。
そこで思い出すのがフェミニストが提起してる「トロフィーワイフ」なる概念なんだけど、つまり、「みんなにうらやましがられ、自慢したいためにいい女を手にしたいんだろ」という男性批判。これ、多くの男性にとってあまりにピンとこないと思う。だっておいしいご馳走を食べたいと思う時、それはおいしいご馳走が食べたいからで、「後でおいしいご馳走食べたことを自慢したい」欲望など二の次だろ?そういう気持ちがないとは言わないがメインなわけないだろ?ジェンダー批判の人たちの男性洞察はだいたいピントが外れている。つうか、それ、むしろ女の話では?女性心理を男に当てはめてない?トロフィーをほしがりがちなのはむしろ女では?
はっきり言ってお前の話だろ!トロフィー欲しいのはお前だろ!
で、少年マンガで相手の女の子がモテモテなことは少ないと書いたが、じゃあ、誰がモテてるかというと、主人公自身なのである。さえない主人公男子が出会う女にいちいち好かれる、気に入られるという王道パターン。みんなが憧れるヒロインを射止める話よりずっとそっちのパターンが多い?男はどうやらモテ女子を射止めるより自分自身がモテたいようだ。そして少女マンガによれば、女は自分自身がモテるよりはモテ男子を射止めたい!あれ?少女マンガと少年マンガ、基本構造一緒じゃね?噛み合ってね?
もちろん少女マンガのモテ男子は少年マンガのラブコメに出てくるようなさえないのび太タイプじゃなく、キラキラしたイケメン王子様なので噛み合ってるとは言えないが、近い非対称性を描いてることが大変興味深い。この非対称性、フェミはけしからんというだろう。俺はフェミじゃないから言わない。大いに好ましいとも言わないけどね(あまりにワンパターンで「またか」と思うことも多いから)。
ランボー 脳筋の源流を訪ねて
純文学なんぞに興味はないけれど [文化]
これを読んでいるみんなはわかってると思うが、俺の基本姿勢はアンチインテリなので、純文学なんぞに興味はない。ドカタでも理解出来るわかりやすいエンターテイメントのみを支持し、基本小説なんて読まないが、たまに読むとしてもミステリーとかSFとかエンタメ度の高いものばかりである。
ただピース又吉の作品が本当に純文学なのかどうか気になる。野次馬的に。野次馬的だから読まない。まあ、ある作品が純文学かどうか読んだところで俺には分からないけどね。
スピリッツ誌で「花火」のマンガ化したやつが連載されていたが、マンガのくせに文字だらけ。しかも内面の吐露ばかりで
「タルいなー」
という印象しかなく、楽しめなかったが、その楽しめなさこそが逆に純文学なのかなー、と思わせた。まあマンガ家が下手くそなだけかもしれないが(たとえ純文学じゃなくても小説内に書かれている内面吐露をそのまま文字に起こせば、そりゃーマンガとしてダメなものになるに決まってる)。
そこでこの記事
https://trilltrill.jp/articles/472384
作家の湊かなえ氏が押切もえのノミネートに不満を漏らした。漏らしついでに又吉氏のことも引き合いに出した。それに乗っかる形で筒井康隆氏は押切もえを「女又吉」と批判。
作家としてのプライドが強い反感を引き出したのだろう。「タレントの余興と一緒くたにするな」と。
湊かなえ氏の作品は「告白」しか読んだことないけど面白かったなー。夢中になって一気に読んだ。ちなみに純文学とは思わなかった。優れたエンタメだと思った。だって難しくないもん。インテリにしかわからないような作品じゃないもん。
だからプライドっつってもエンタメ作家としてのプライドなんだろうけどね。純文学側からのダメ出しではない。
ただし、出版界は近年凋落の傾向にあり、特に文学の売り上げの落ち込みが激しいという。そんな中、タレント本で話題を作り凋落を回避できればという政治的理由が文学賞の選考過程に持ち込まれればそりゃあまじめに小説書いてる人は気分良くないだろう。たとえエンタメ系だろうと。
じゃー湊かなえさんみたいなエンタメ作家(褒めてます)ではなく、本格的に純文学側の人は又吉の活躍をどう思ってるのか?エンタメ作家以上に怒ってるのか?タレントの余興を話題作りで持ち上げてると強く批判しているか?
純文学にあまり詳しくない俺の知識の中でエンタメの匂いのしない純文学作家として真っ先に脳裏に浮かんだのは古井由吉という名前だった。まだ俺も若くてインテリっぽいものを今ほど拒否してなくて「たまには難しい本を読んで頭よくなろう」などと思っていた時期一番難しいと思った小説が古井由吉の「杳子」だった(他にも難しい小説などいろいろあると思うが、知らない)。まさに内面ばかり。しかも感情移入させてはくれない病的な内面展開。まさにエンタメの対極である(あくまで俺の印象だけどね)。
で、早速「古井由吉 又吉直樹」で検索すると、なんと古井氏、又吉を褒めているではないか!
https://matome.naver.jp/odai/2146345337807803701
実は湊氏、辛口コメントの直後には押切もえの受賞を歓迎するコメントに切り替わっていて、やはりエンタメ作家は、売れてナンボ、稼いでナンボ。出版界の政治力学には逆らえないんだなーと、思ってしまうが、非エンタメ界の重鎮古井由吉氏にそんな力学が作用するわけない。きっと本気で褒めているのだろう。
というわけで純文学中の純文学、古井由吉が褒めたので又吉直樹の純文学性も本物!話題作りのためのインチキ受賞ではないという結論が俺の中で出た。俺の野次馬的疑問は解消された。
え?あっさり解決しすぎるって?すみません、本格インテリじゃないのでこのくらいの調査が限度です。あの作家が褒めてたとか、あの作家がけなしてたとか情報があったらお知らせください。野次馬的的興味でにお待ちしてます。
押切もえがどんな作品を書くのかは又吉以上に興味ない。水嶋ヒロも興味ない。
「グレイテスト・ショーマン」と俺 [文化]
相撲を滅ぼさないために(滅んでも別にいいけど) [文化]
そもそも何で外人が入ってきてしまうのか?恐らくどの部屋の親方も「日本の相撲をさらにハイレベルにし、盛んにするため外国人力士を積極的に起用するのが望ましい」なんて思ってないはずだ。外人など少ないほうが国技らしくていいと思ってると思う。なら何故起用するのか?他の部屋が強い外人を呼ぶかもしれないから、自分が呼ばないと損するから呼ぶのだ。これはまるで囚人のジレンマである。囚人のジレンマ、つまり全体を良くする選択肢があっても、自分だけが損する可能性があると、全体としては悪い方向に進むけど自分の損が少ない選択肢を選んでしまうというジレンマ。協力より裏切りを人は選んでしまうのだ。
BBG48とフェミニズム [社会]
「女性には理解しようもない男の小汚くどす黒い本音の部分」
をそのまま一人称を女性に代入して書き換えて作っている。
犬死とは何か [社会]
俺は本当は下品の味方じゃないのかもしれない。 [文化]
嫌いなマンガベスト5 [マンガ]
嫌いなマンガベスト5をあげてみようと思う。
といっても本当に嫌いなマンガは視野に入ってこないように無意識に避けているだろうから情報も入ってこなくなり、その存在が気にならなくなっているかもしれない。嫌いになっていることなっていることすら忘れて、嫌いなマンガとは?と問いかけた時、念頭にすら上がってこなくなってるかもしれない。 だがこれからあげるマンガは、
「何だこのマンガ。嫌いだ。そしてこの気持誰かにいいたい」
と、思いながら時々つい読んでしまうタイプのマンガである。本当は好きかもしれない。
ちなみに全マンガ史、俺の前マンガ読書歴から選ぶと大変な作業になるし、大昔のマンガとか読んでる方も調べないとわからないのばっかり出てきそうなので、現在連載中のものに絞ることにする。
別にOLが特撮好きでも別にいいと思うが、なんか主人公のキャラが愛せない。OLが特撮ヲタであることからくる悩みやトラブルや悲喜こもごもを面白おかしく描いてるが、本当は「誰がどんな趣味でも無条件に許されるべき」というおおらかな思考じゃないんじゃないかとも思えてくる。あと、このマンガ、毎回全体になんか説教臭い。
モーニング誌も昔よりは女性読者も増えただろうし、少女マンガ出身の青年マンガ描きも増えているところからこういうマンガがおっさん向け青年誌に描かれるのも時代の必然なのだろうか?中世イタリアの政治的な陰謀やら野望やら描いている。そう書くと面白そうだが、主人公はじめ主要登場人物がみんなキラキラしすぎ。俺みたいなオッサン読者には虫唾が走る。女性向け雑誌に連載されていたらここにランクインされることもなかっただろう。
他でやれ。
何号かに1回は読んでしまう。実際読むとつまらないということはない。だが、同時に「うわっ苦手」という気分も強烈に沸き立ってくるという困ったマンガ。
描いてる人は女性っぽいが、オタクだろ?まちがいなく。いや、オタクネタ別にこのマンガにないんだけど、矮小化とでも言えばいいの?地獄とか悪魔とか本来おどろおどろしく描かれるべきものを可愛くライトに時にしょぼく描くことから生まれるギャップのギャグ。その笑いのセンスがどうしようもなくオタク臭い。ゆうきまさみにも通じるかなー。日頃よりリア充よりオタクの味方でありたいと発言している俺であるが、こういうのに接すると思わず
「オタク死ね」
と、叫んでしまいそうになる。読まなければいいんだけどなー。
高橋しんの作品なので絵柄といいストーリーといい反吐が出そう。やだやだやだやだ全てがやだ(だが、毎号読んでしまう)。
複雑な家庭環境で普通に見れば「かわいそう」な境遇に置かれた小さな男の子が、そんな素振りも見せず強がっていてそれがまた健気でそれに振り回される大人たちもなんだか愛おしいという趣旨のマンガだが …
全然愛おしくねえよ。
ガキもそれに振り回される大人たちもまとめて皆殺しにしたくなるそんなマンガ。殺人衝動を助長するキケンなマンガである。
そんなわけでいつもは冷静で論理的な分析がウリな俺のコラムであるが(え?ちがう?)、今回に限っては感情ばっかりになっちまった。たまにはいいだろ?