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やはり俺は三谷が嫌いだ [雑感]

 ゴキブリコンビナートを知っていて何らかのイメージを抱いてる人は
「Dr.エクアドルは三谷幸喜みたいなの嫌いに違いない」
と、思うだろうが、全くもってそのとおりだ。

と、いっても舞台作品はみたことない。最初に接したのは映画かな?「ラジオ(ラヂオ?)の時間」とかいうやつ。

演劇をやっているといろいろ制約に感じることがある。額縁形式だと一つの角度からの視点しか示せないとか、早々何度も場面転換できないとか、アクションよりもついついセリフでいろいろと説明しがちになるとか、落とし穴がいっぱいだ。みんなその弱点を露呈させないように努力して地味にならないよう工夫を重ねているのだと思っていた。

ところが、その弱点を集積したような作品だった。映画なのに。一幕モノの芝居のような映画。演劇ならではの制約から解放されたのに、その制約でがんじがらめに縛られたみたいな作品。当然のことながら地味なことこの上ない。場面転換は少なく、一つの場面もなんだか冒険的なショットとか一切なく、まるで一方向からしか撮ってないんじゃないかと思えるような平板なカメラワーク。一体何をこの人はしているのだろう?と、思った。

あ、「最初に接したのは映画」と書いたが、本人がしゃべってるのテレビで見てまず嫌いになったんだった。生理的に苦手なタイプだと思った。はっきり言って気持ち悪い。で、「ラジオの時間」を偶然テレビで接してますます嫌いになったんだ。

この間また、三谷経験があった。夕方何気なしにテレビつけたら、「古畑任三郎」やってたのだ。評判のあのドラマ。一体どんなんだろうとちょっと興味がわき、観てしまった。

やはり酷かった。犯罪とか扱ってるから多少違うだろうと思って観たら全然同じだった。彼は地味になるためにどあえて努力しているのだろうか?刑事ドラマであんなにも静かでミニマルなのも珍しい。しゃべくってるだけじゃん。いや、あらゆるドラマ、映画は実のところしゃべくってるだけなのかもしれないが、そういう印象を観ている者に植え付けちゃダメじゃん。

それにしても、シブくてかっこいいのをやろうとしてる形跡はあるんだけど、全然シブくないところが逆に笑える。マサカズもシブくなくてかっこつけかた失敗して、単なる変なオジサンになっていて笑える。もともと軽いタッチでしか描けない人なんじゃないの?何をどう描いてもコミカルにしかならないんだったらそれに徹すればいいのだろうが、「結果としてコミカル」な印象を生んでるので、かっこわるいことこの上ない。全てが。

三谷幸喜って俺が自分の活動で「こうならないように気をつけよう」と戒めていること全てを全力で行ってるやつだな。もう嫌いをとおりこして感動すら覚える。でも尊敬はしない。愛せやしない。


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